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ギザルノーがほんとは似合う

ニューイングランド地方にドライブに行ってきました。
・・・
えっと、種々の事情により写真後ろに写っている建物を拝見する事ができました。
で、うちのルーテシア君と記念写真。
でも、本当は数字ルノーの方がお似合いなんですよね。
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「満州国の首都計画」快読

越沢明さんの「満州国の首都計画-東京の現在と未来を問う」を読みました。
現在はちくま文庫に入っていて、副題の「東京の現在と~」の部分が取れているようですので、
もしかしたら私が図書館で借りた日本経済評論社版(1988)とは異同があるかもしれません。

4480087079満州国の首都計画
越沢 明

筑摩書房 2002-07
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専門分野の本ですが、非常に読みやすく、また、歴史的にも「へえ~」が多くて楽しめます。
1章から7章までは新京(「満州国」の首都)の都市計画を論じた内容。
都市計画技術の戦前戦後の連続性を明快にした非常に面白い内容で、
その上「帝冠様式=ファシズム建築」・「モダニズム=ファシズムへの抵抗」史観を
「満州のコンペで勝って実施までやった前川國男はここでは「勝てば官軍」ではないのか」
といった主旨でサクサク撃破していて(まあ、議論としては甘いと思うけど)これも非常に痛快です。

井上章一さんが「アート・キッチュ・ジャパネスク-大東亜のポストモダン」で
 同様の指摘をしたのが1987年なので、時期としては非常に早いのではないでしょうか。
 この二冊と西澤泰彦さんの「海を渡った日本人建築家」(1996) を合わせて読むと非常に面白そうです。

439500444X海を渡った日本人建築家
―20世紀前半の中国東北地方における建築活動

西沢 泰彦

彰国社 1996-12
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ところで、序章ではそもそも都市計画とは何かが、終章では都市計画の手法について、
それぞれ非常にわかりやすく説明がされていて、満州国の事情に興味が無い人でも
ここだけは「都市計画早分かり」として読んで損は無いような感じです。
特に終章で海外の都市計画手法に存在する共通の観点として

1. 都市開発のためには行政当局が主体となってインフラ整備をしなければならないこと。
  (つまりスプロールさせない
2. 道路・公園といったインフラは全市的に利用されるものであるが、一方では確かに特定の受益者は存在し、
 彼らに土地であれ、課税の形であれ負担させることは正当である、開発利益を還元させるべきである、
 という観念が存在することである
  (つまり、一般財源に大きく依存したインフラ整備は妥当でないという考え方)。


の二点が指摘されているのですが(赤はプラナリアによる)、
1.は「行政当局が主体となるべき理由」が規制緩和という掛け声で等閑視されている現実を改めて思い起こさせ、
また、2.は、たぶん現在の日本のインフラ整備においては殆ど考慮されていない観点で、
不勉強な私=「え、税金でやる為に税金集めてんじゃないの」には目鱗な指摘でした。
(これを54号線問題に当てはめると、受益者を全市民と拡散して設定することで真の利害関係者を隠すことになり、
 結果、市民参加による合意形成が機能しない、ということか?著者はそうはとらないかな。)

という訳で、同じ著者の「ハルビンの都市計画」も読んでみたいと思いました。
○この書評も読む気にさせます。→ 書評日記 パペッティア通信「植民地というユートピア」
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