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エンドユーザのリスクと専門家の責任

建築の品質は誰がどのようにして守るべきか。
建設通信新聞という業界紙に気になるニュースが二件あったので(2006年2月24日付)、
ご紹介しつつ個人的な意見なども述べてみたいと思います。

1.日本建築構造設計事務所協会連合会という団体がNPO法人化するというニュース。

「市民の理解と信頼性を高めるには任意団体では限界がある」ということでNPO法人化されたということです。
新聞には代表に選出された榊原氏の
「耐震偽装事件を契機にエンドユーザーの自己責任も問われているが、
 われわれは消費者のリスクを回避すべく活動しなければならない。」
とのコメントが紹介されていましたが、
専門家の団体が公益性をもって活動する事の意味を明快に示したコメントかと思います。
今後の活躍に期待したいと思います!

2.規格品の生コンの試し練りを省きたいので、どうしてもやると言うなら有料にしたい、というニュース。

生コンというのはミキサー車(通称)で運ばれてくるまだ固まっていないコンクリートのこと。
で、「東京地区生コンクリート協同組合は、需要家に対し、JIS規格品コンクリートの試し練りの省略化を要望」するらしい。
試し練り、というのは、実際に現場に持ってきてもらう前にコンクリートの試験体を作ってもらい、
コンクリートの配合(水、セメント、砂、砂利などの割合)を確認し、柔らかさや強度の確認する作業のことです。
要望の理由は「本来、JIS規格品は試し練りをする必要がない」から、だと言っているらしいのですが・・・。
・建築学会の標準仕様書や国交省監修の標準仕様書で「試し練りを省略できる」と明記している。
・組合員の工場はJIS規格より品質要求が高い全国生コンクリート品質管理監査会議の
 統一基準に合格しているため、十分な品質は確保できる。
・2004年度は試し練り6,000試験のうち、42%をJIS規格品が占めており、必要のない試験が多い。
え~これって論理の飛躍じゃないの?
省略できる、と、必要がない・省略しなければならない、は全然意味違うじゃない。
それに彼らの言う「組合員はみな平等な技術水準を確保している」という議論は、
我々からいうとちょっと困ったリクツなんですよね。
はっきり言って技術水準には違いがある。工場の設備にも違いがある。
水準は、ある意味、低いところでもクリアーできるラインで設定されているとも言える。
(技術水準が高ければ標準偏差が小さくなるので無駄な配合(セメントが多い)でなくなると思うのでけど、
 たぶん個々の工場でではなく、組合などで決めた基準でやっているので、品質にばらつきの少ない、
 技術力のある工場でも安全側に強度の大きな配合設計となっている気がします)
(因みにセメントが多くなって強度が大きくなればいいんじゃないの、というのは間違っていると私は思います。
 セメント増えれば水も増える、そうならない為に薬を入れる、というのは健全じゃない。)

実は生コンの売買は「組合」が受けるのが常態化していて、発注者が工場(会社)を指定する事は不可能に近い。
で、技術的な優劣が受注に繋がらないという事になってしまっていて、品質で勝負、という発想に欠けているのではないか。
やっぱりこれは市場としてあんまり健全ではない状況で、それが出来るだけ手間を省きたいと言う思考に繋がっているのではないかと。

官庁(生コンはJIS規格なので国土交通省でなく経済産業省)の縛りで品質を確保しよう、というのは
本来的な品質管理の仕組みから言えば他人任せ・国任せであって、設計者・施工者としての責任放棄ともいえる。
自分の目で選んだちゃんとした品物を売ってくれるところに頼む、って、当たり前でしょ?
ところが、近年の建築生産の現場では、この他人任せ的な品質管理が合理的な生産システムとして推奨されてきていて、
このように一つ一つ確認して積み上げていく、という作業が軽視されているように思います。
もちろん全部が全部確認できるわけではないのだから、
最終的には「(誰か他人の)ハンコの押してある書類」に頼らざるを得ないのはしょうがないんですけど、
「(他人の)ハンコが押してあるから俺には責任はない」というのは、法的にはともかく職能の倫理としてはやや情けない。
そして、この他人任せ、国任せ、ではエンドユーザのリスクがどうなってしまうか、というのは
今回の「構造強度偽装事件」における根幹的な問題だと私は思うのですけれども。

同協組は「セレモニー化しているものをやめ、本来の品質管理に注力したい」とし、省力化を要望する。

セレモニーになっているのは何故か、そっちの方が問題だと私は思うのですけれどもね。
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