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あたらしい教科書「民芸」

あまりに民芸が分からないので入門書を探してみました。

民芸 (あたらしい教科書 11) (あたらしい教科書)民芸 (あたらしい教科書 11) (あたらしい教科書)
プチグラパブリッシング 濱田琢司 福田里香

プチグラパブリッシング 2007-02-01
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前半は民芸についての解説で、著者は濱田琢司さん(濱田庄司のお孫さんらしい)。
後半は雑貨のカタログ。
民芸的視点によるなんとか、なのかも知れませんが、正直どうでもいい内容、ですかね。
(colum5は消費するメディアの側から見た「手前味噌」なんである意味興味深かったけど)

さて、濱田先生の民芸解説ですが、これには非常に困りました。
だってプラナリアが民芸の弱点?と感じていたところを
「はいそのとおり。でもそれを包み込むのが民芸の魅力です」
とあっさり切り返してしまっているんだもの。

「民芸運動には、産地振興や社会生活向上、あるいは文化的消費や芸術活動など
 多様な側面があった。ただ、それらは有機的に結びつくというよりも、
 多少の関係は残しつつ、個別に存在していた。
 その意味で民芸運動とは複数形の運動だった。」
「民芸運動は矛盾なき一方向を進むよりも、
 矛盾を抱えて多方向へと進んでいくことになったようにみえる。」
そして
下手ものを美的対象に引き上げる、このまなざし、つまりは「眼」の力
 これこそが民芸の最大のポイントでもある。」

と来てしまえば、モダニズム(生産者)の文脈で批評することはもう無理っすね。
ただ、濱田氏はこの眼の力を茶の湯の数寄の精神と比している節があるんだけれど、
柳自身は利休などと比べられることを嫌ったというような話があったような。
消費者の視点と言うポストモダニズム的視点?から民芸の今日性を評価するのも分かるけど、
それが雑貨カタログ、デザイングッズセレクションの域を超えることが出来るのか?
(本書を見る限り無理。・・・もちろんこれらのプロダクツが嫌いなわけじゃないんですぐゎ)

やっぱり「眼の力」って何?といった不断の問いかけは大切なのではないのかなぁ。
でも、民芸ってその多様性を上手に使って、常にこういった問いかけから
ヌルヌルとすべり出るような気もするんですよね。。

ある時期('60s-'70s)本当に「民芸」は消費されてしまったそうなので、
今また注目される、その復元力の源は何なのか興味を引かれるところではあります。
その根っこが白樺派(<柳は同人)的なものだったりしたら個人的には嫌なんだけれども(笑)
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