『三蔵稲荷神社』福山市
三蔵稲荷神社は、福山の開祖、水野勝成公が福山城を築城する時に、守護神として祀った
神社です。
勝成公が21歳のおり、祖父、忠政公が京都伏見稲荷大社より受けられたご神体を授かった。
四国・九州での戦においてもご神体を肌身離さず持ち続け、お稲荷さんのご加護を受けることが
でき、1619年この福山の地に城を築き、城内の北側(鬼門)に備後の国の守護神としてお祀り
したのが、三蔵稲荷神社の起源。
「三蔵」という名のいわれに、ある伝説があるそうです
江戸後期、阿部公の納戸役が福山から江戸へ多額の公金を運んだときの事
今と違い道中はご存知のように、山賊・強盗・追いはぎetsが出没
例に漏れず納戸も襲われたがそのたびに、どこからともなく、いかめしい武士が現れ
守ってくれた。
しかし、名も告げず立ち去っていたが、あるとき必死で袖をつかみ「せめてお名前だけでも」
と頼むと「わたしは、福山の城北にやっかいになる、三蔵と申す者でございます」と言い残し、
武士は姿を消してしまった。
福山の城北といえば、お宮やお寺の多いところで、人が住むようなところではない。
お納戸役は、ようやく気付きます。あのお方は、城北の稲荷神社のお使いギツネ様であると
この出来事を機に、阿部家の江戸屋敷と福山城内に、三蔵稲荷の社をつくって祀った
ということだそうです へぇぇぇぇ~
またまた正面からでなく、裏口からの参拝となりました
この規模で能舞台とはめずらしいなぁ~と思ったら、神楽・舞踏の始祖である
“大宮女大神=おおみやめのかみ”様が祀られているからなんですね
でも、インターネットを見てみると、この能舞台で「カラオケ大会」が催されていました
私としては、無責任な意見ですが、ちょっとなぁ~
まぁ~「演芸・歌劇・茶道・華道」の守護神だそうですから、カラオケも入るわけか
ちょっと信じられない光景に思えますが
以前、どこの神社だったかお祭りがあって
舞台の上では和太鼓のグループが腕を振るう中、フラダンスを披露するグループもいたんです。
「フラダンス?」と思っていたら、舞台には上がらず、舞台前で披露してました。
やはり、カラオケはちょっとねぇ~
って、余計なことですがね。
神様は、心が広いのかも♪
まあ~あの有名な「天の岩戸」騒ぎの時、岩戸
の前で、アマテラスを引っ張り出すために、
スサノオ達は、岩戸の前で、神達が
どんちゃん騒ぎをしたそうですから、人間が
しても何も言えないかもしれませんね