寒さが格段と違う二月、暖かい広州から日本へ。この二階の部屋に帰ってきた。
ベランダの外、二本の樹が立っている。幹がツルツル、葉がすっかり落ち、いかに寒々としていた。枝が腕のようにたくさん伸び、部屋のこちらに、また向こうの一軒家側にも。ベランダから手を少し伸ばせば容易に届きそうだ。
一か月後、長い冬を通り越し、春の風を感じはじめる頃、樹の枝に産毛に覆われた薄鶯色の新芽が点在するように顕れた。一つ一つ膨らみ、今でもほろこびそうになる。外の空気がまだ冷たい。内心ではこれ、もしかして花の樹⁈ との期待が昂った。
一週間後、春の吹息が樹にもすっかり吹き込まれ、瞬く間に淡緑の穂が頭ごなしに芽出り、やがて青々とした若葉いっぱいで樹をあしらった。
植物に詳しい友人に樹や葉の写真を送り、桑の樹ではないかと言われ、この先もし赤い実が実れば、確実だと教えてもらえた。
小学低中学年の頃、蚕を二、三回ほど飼った事があった。餌となる桑の葉を手に入れたいので、桑の樹のあるお家に、同級生と一緒にもらいに行ったりもした。さすが毎日は言い出せない、と思っていたのか、近くの児童公園前でお小遣いで買った日もしばしば。春季限定、子どもの私達を相手に、人力車を引いて桑の葉を沢山売りにくるおばさんがいたから。
蚕の幼虫に新鮮な桑の葉を与える事が、毎日の楽しみ。餌をあげると、幼虫たちがのこのこと好きな場所まで這っていく。こくりこくりと葉の縁から食べる様子が、体の柔らかい体操選手みたい。その食べぶりを見守るのが好き。中では、まだか弱い幼虫もいるので、なかなかよじ登れない子もいたりする。その子のため、餌を与えるとき、葉の置き場や角度を食べやすいように、工夫するようにした。さらにどうしてもうまく食べられない子を、ピン爪でそっと食べやすい所まで運んであげた。容器内の排出物のお掃除も欠かさず。そのおかげで、苦手な動物ほかにいくつもあったのに、虫触ることにあまり抵抗がない(笑)
餌を食べ、みるみるうちに太っていく蚕の幼虫がとても可愛い。色も脱皮する都度、グレーから白、真っ白へと。体が大きくなると、段階的に脱皮する。脱皮する直前、体が辛いのか、いきなり餌を食べなくなる日がやってくる。蚕たちが脱皮する瞬間、放課後と願うばかり。助産師になる気分でそばに張り付けていたい。
しかし、蚕の一生は、短いもの。ニ、三か月後かな(よく覚えていないが)、成虫になるため、蚕が己の繭を作り、一週間ほど中で変身を遂げる。再び繭から出てこれたときは、男の成虫か女の成虫に変貌する。
この瞬間は、悲しいときでもある。蚕の幼虫を最初から偶数で育てていても、必ず同じ数の雄と雌の成虫になることはほぼ奇跡に等しかった。そのため、必ず交尾の相手が見つからない孤独な子がいる。人間の私が、こればかりはどうしても手助けすることができなかった。無力を感じる瞬間。
そして卵を産んだ後、命が尽きた成虫の死骸を見るのも辛いこと。
…
リアルにあの頃の思い出が映像のように次々と甦った。養蚕の思い出、それだけ楽しい部分がやっぱり多かった。
なのに、桑の葉の形、なぜ思い出せなかったのかな、と不思議なぐらい。
(続きへ)