秋晴れの好日。
「夕張市石炭博物館」を
訪ねました。
かつては夕張市が運営する
「石炭の歴史村」という
テーマパークだったところ。
当時は家族や会社のみんなで
よく遊びに来たものです。
その後、第3セクターが破たん。
施設は長いあいだ
閉鎖されていたようです。
今年の春。
その博物館がリニューアル。
「頑張れ夕張&新装の博物館」
という訳の町内会観楓会です。
炭鉱の街「夕張」。
1874年(明治7年)
アメリカ人高山地質学者
ベンジャミン・スミス氏ら
探検隊が石炭を求めて
夕張川上流の地質を調査。
1888年(明治21年)
道庁技師の坂市太郎氏が
夕張川支流士幌加別川上流で
石炭の大露頭を発見した。
その後
夕張は炭鉱の街として栄え
一時は大小24の炭鉱、
人口は12万人を数えたが
1965年代になって次々閉山。
1990年(平成2年)
炭都夕張の歴史は幕を閉じた。
博物館から当時の立坑を模した
エレベーターで入坑します。
模擬坑道は実際に
使用されていた坑道の一部で
石炭層が見られる坑道では
日本唯一。
外に出ると空がまぶしい!
むかし炭鉱マンは
どんな気持ちで
この空を見上げたのだろう。
左には天龍口坑道。
正面には「採炭救国坑夫の像」。
さらに右手の崖は
一面の石炭大露頭!
先ほど地底で見た炭層が
ここでは地上に露出しています。kyokukenzo
※ 本文茶色部は
「夕張市石炭博物館」
パンフレットから引用しました(筆者)。
「夕張市石炭博物館」を
訪ねました。
かつては夕張市が運営する
「石炭の歴史村」という
テーマパークだったところ。
当時は家族や会社のみんなで
よく遊びに来たものです。
その後、第3セクターが破たん。
施設は長いあいだ
閉鎖されていたようです。
今年の春。
その博物館がリニューアル。
「頑張れ夕張&新装の博物館」
という訳の町内会観楓会です。
炭鉱の街「夕張」。
1874年(明治7年)
アメリカ人高山地質学者
ベンジャミン・スミス氏ら
探検隊が石炭を求めて
夕張川上流の地質を調査。
1888年(明治21年)
道庁技師の坂市太郎氏が
夕張川支流士幌加別川上流で
石炭の大露頭を発見した。
その後
夕張は炭鉱の街として栄え
一時は大小24の炭鉱、
人口は12万人を数えたが
1965年代になって次々閉山。
1990年(平成2年)
炭都夕張の歴史は幕を閉じた。
博物館から当時の立坑を模した
エレベーターで入坑します。
模擬坑道は実際に
使用されていた坑道の一部で
石炭層が見られる坑道では
日本唯一。
外に出ると空がまぶしい!
むかし炭鉱マンは
どんな気持ちで
この空を見上げたのだろう。
左には天龍口坑道。
正面には「採炭救国坑夫の像」。
さらに右手の崖は
一面の石炭大露頭!
先ほど地底で見た炭層が
ここでは地上に露出しています。kyokukenzo
※ 本文茶色部は
「夕張市石炭博物館」
パンフレットから引用しました(筆者)。