「中途半端な足元を責める言葉を聞きながら、心の中に人知れず流されまいとあがく愚かな夢を抱いて…略…行き交う車、靴音の波、見せかけの恋、本当の嘘、雲に隠れて見えない空を思い続ける、負けたくはない…略…街に紛れて行くけれど、風に流れてしまうけど、本当は何になりたくて、本当は何に憧れて心の中に今もなお、雨をついて走る愚かな夢を抱いて。Fool in the Rain」
(篠原美也子“Fool in the Rain”1995年 より引用)
雨夜だから思い出した、と書いてみた物の果たしてホントに?と問われると、多分、という自信の無い答えしか出ないが、何になりたくて、何に憧れて今の今まで来たのか、考えてみれば、何も無いような、しかし、何かになりたいという漠然とした「何か」はあったように思う。
漠然の「漠」は、水が無いという様な意味を持つような気がしたが、雨という水分が無い時は形がある様でも水気を帯びれば消えてしまう。そこには何も残りはしない。迷いが増えるだけだが、どこへ向かい何処へたどり着くかは解らない。風に流され、人に流されはしても、自分のスタンスは貫きたいという我の強さなんてなくなっちゃえば良いのにとか思うもののなくしてしまえば、自分が自分でなくなる気がして、また振り出しに戻る。
漠然を溶かす雨は、意外な所で振り出し、辺りをぼやかして行き、私もそこに消えて行く様で…。
(篠原美也子“Fool in the Rain”1995年 より引用)
雨夜だから思い出した、と書いてみた物の果たしてホントに?と問われると、多分、という自信の無い答えしか出ないが、何になりたくて、何に憧れて今の今まで来たのか、考えてみれば、何も無いような、しかし、何かになりたいという漠然とした「何か」はあったように思う。
漠然の「漠」は、水が無いという様な意味を持つような気がしたが、雨という水分が無い時は形がある様でも水気を帯びれば消えてしまう。そこには何も残りはしない。迷いが増えるだけだが、どこへ向かい何処へたどり着くかは解らない。風に流され、人に流されはしても、自分のスタンスは貫きたいという我の強さなんてなくなっちゃえば良いのにとか思うもののなくしてしまえば、自分が自分でなくなる気がして、また振り出しに戻る。
漠然を溶かす雨は、意外な所で振り出し、辺りをぼやかして行き、私もそこに消えて行く様で…。