「突然のさよならは、あたたかい風に散る。薄紅の花びらのはかなさにも似て、音もたてず…わけなんて言わないで、春だから、それでいい、あなたから背を向けて傷つかずに始まるものは無い。思い出をいつか力に変えよう」
(篠原美也子『前髪』1996年 より引用)
春の失恋ソング、『前髪』。昨年2009年の4月に入った頃だっただろうか?不意にこの歌を聴きたくなってカラオケでも歌った記憶がある。
恋した春ではなかったが、何故にこの曲に触れたくなったのかは解らない。
桜の花散って失恋は、絵にはなるが、体験はしたくはない。
出会いもあって別れもある春。しかし出会いの数より別れの数のが個人的には多い。相手から告げられた数と、自ら告げた別れの数、恋愛においてそれらはないが、それ以外で比較してみると、案外自ら告げた数のが多いかも知れない。だがしかしそれは、必然的か自然的な流れで、歎いてはならない物とは知りつつも、時に、往生際の悪さが現れる事もしばしばである。
壊れゆくは、散り行くが如し。しかし花は咲いたからには散り行く或は萎れるのが定め。何時何時までも一代で美しい姿を見せて居られやしない。
さよならは突然であり時に必然でもある。散る桜残る桜も散る桜で、咲かしてはいけない花を幾つも咲かし、散らしたが、一瞬だけでも咲いた花達に向けられる顔は無い。
(篠原美也子『前髪』1996年 より引用)
春の失恋ソング、『前髪』。昨年2009年の4月に入った頃だっただろうか?不意にこの歌を聴きたくなってカラオケでも歌った記憶がある。
恋した春ではなかったが、何故にこの曲に触れたくなったのかは解らない。
桜の花散って失恋は、絵にはなるが、体験はしたくはない。
出会いもあって別れもある春。しかし出会いの数より別れの数のが個人的には多い。相手から告げられた数と、自ら告げた別れの数、恋愛においてそれらはないが、それ以外で比較してみると、案外自ら告げた数のが多いかも知れない。だがしかしそれは、必然的か自然的な流れで、歎いてはならない物とは知りつつも、時に、往生際の悪さが現れる事もしばしばである。
壊れゆくは、散り行くが如し。しかし花は咲いたからには散り行く或は萎れるのが定め。何時何時までも一代で美しい姿を見せて居られやしない。
さよならは突然であり時に必然でもある。散る桜残る桜も散る桜で、咲かしてはいけない花を幾つも咲かし、散らしたが、一瞬だけでも咲いた花達に向けられる顔は無い。