3月21日、321の日なので、夕暮れのシーンをそれに載せ、明日という0を受け入れ、再び1が来る時を願いたい。
先程の話で、篠原美也子の『春の日』という曲の歌詞を引用したが、この曲は画像にある“Vivien”という1997年2月5日に発売されたアルバムに入っている。
春初めの寒い様な時期に出されたアルバムである事は、この話で取り上げるまですっかり忘れていた。
出会いの歌である『春の日』の他に、失恋の曲『前髪 -album version-』が収録されていたりもして、幸せ一杯な感じがしない面も実はあったりする…のだろうか?
そして“Good Friend”という友達以上恋人未満という曲の他、人生の応援歌的な『風の背中』、“Always”が収録され、出会う別れるその先を示す歌が入っているアルバムであり、ヒットこそしなかったが、力作であった。後にセルフカバーソングとして5曲がこのアルバム収録曲から選ばれてカバーされていたりする。
またアルバムの歌詞カードには、「ヴィヴィアン・リーが好きです…中略…ヴィヴィアンのようにすべてを引き受けてなお、優雅であれますように。ヘヴィな時こそ背中を伸ばせますように」という、あとがきが歌詞カードに残され、「今夜すべての人の上に星が降るように」で綴じられている。「春への希望」が込められているとリリースから13年経った今、見てみると思う。13年前の自分が過ごした春に、希望はあったかは思い出せないが、負けへの烙印と思い出したくもない記憶を刻み込む時代を繰り返す入口だった時期にあたるな、と思う。しかし、このアルバムのリリースはやけに嬉しかった記憶がある。また篠原美也子の曲に出会える事が出来た事が嬉しかった。あの当時はインターネットは身近にはあったんだろうが縁もなくまたそこまで機能していたのでもないので、活動の証は、こんな風にアルバムリリースだった様に思う。
そんな想いがこのアルバムにはある。
春初めの寒い様な時期に出されたアルバムである事は、この話で取り上げるまですっかり忘れていた。
出会いの歌である『春の日』の他に、失恋の曲『前髪 -album version-』が収録されていたりもして、幸せ一杯な感じがしない面も実はあったりする…のだろうか?
そして“Good Friend”という友達以上恋人未満という曲の他、人生の応援歌的な『風の背中』、“Always”が収録され、出会う別れるその先を示す歌が入っているアルバムであり、ヒットこそしなかったが、力作であった。後にセルフカバーソングとして5曲がこのアルバム収録曲から選ばれてカバーされていたりする。
またアルバムの歌詞カードには、「ヴィヴィアン・リーが好きです…中略…ヴィヴィアンのようにすべてを引き受けてなお、優雅であれますように。ヘヴィな時こそ背中を伸ばせますように」という、あとがきが歌詞カードに残され、「今夜すべての人の上に星が降るように」で綴じられている。「春への希望」が込められているとリリースから13年経った今、見てみると思う。13年前の自分が過ごした春に、希望はあったかは思い出せないが、負けへの烙印と思い出したくもない記憶を刻み込む時代を繰り返す入口だった時期にあたるな、と思う。しかし、このアルバムのリリースはやけに嬉しかった記憶がある。また篠原美也子の曲に出会える事が出来た事が嬉しかった。あの当時はインターネットは身近にはあったんだろうが縁もなくまたそこまで機能していたのでもないので、活動の証は、こんな風にアルバムリリースだった様に思う。
そんな想いがこのアルバムにはある。
「もういちど会えるなら、まだ浅い春の日がいい。街中がひそやかに、出会いや別れの支度をする頃。偶然をよそおって、ありふれた街角でまるで見知らぬ他人のように、もういちどはじめから恋を。もういちど会いたくて、まだきっと間に合う気がして。会いたくて思い出は遠ざかるほどにあざやかな影…中略…もういちど会いたくて、言葉にはならなくても人混みの中、消える背中に何ひとつ変わらない恋を。あなたへの終わらない恋を」
(篠原美也子『春の日』1997年 より引用)
別れた恋人ともう1度会う…のではなく、また、新しく、何時かの恋と同じくして会いたいという事なんだろうか?
今の季節、まだまだ浅い春。ちょうどそんな時、冬になくした恋を取り戻す、あるいは、ちょっとした時流に乗ったり、誰かの動きに感化されて…と動機はそれぞれにある物。
人の溢れる街で恋をするなんて難しいなぁ…と思ってしまうが、恋する事があるいは恋する感情が芽生える出会いが何も街中繁華街で、ナンパやハント(もはや死語か?)するのではなく、オフィスやら学び舎あるいは合コンの席でも良いかもしれない、巡るべくして出会う恋があるならそれは素敵な夢絵物語で、現実には恐ろしいものの1つもありそうである。
夢絵物語だからこそ、美しく見える話。それでも良い。誰かの心を動かさせるくらいの物語なら。現実味を帯びていなくとも。現実を考えると、全てが「ありえない」と思えてしまうから。
(篠原美也子『春の日』1997年 より引用)
別れた恋人ともう1度会う…のではなく、また、新しく、何時かの恋と同じくして会いたいという事なんだろうか?
今の季節、まだまだ浅い春。ちょうどそんな時、冬になくした恋を取り戻す、あるいは、ちょっとした時流に乗ったり、誰かの動きに感化されて…と動機はそれぞれにある物。
人の溢れる街で恋をするなんて難しいなぁ…と思ってしまうが、恋する事があるいは恋する感情が芽生える出会いが何も街中繁華街で、ナンパやハント(もはや死語か?)するのではなく、オフィスやら学び舎あるいは合コンの席でも良いかもしれない、巡るべくして出会う恋があるならそれは素敵な夢絵物語で、現実には恐ろしいものの1つもありそうである。
夢絵物語だからこそ、美しく見える話。それでも良い。誰かの心を動かさせるくらいの物語なら。現実味を帯びていなくとも。現実を考えると、全てが「ありえない」と思えてしまうから。
「口を閉ざして今は風に吹かれるままに。髪をなびかせ、じっとうつむいているけれど、決して忘れはしない、あきらめることもない。息をひそめて、胸の奥に隠してゆこう。
ここは、ワザリング・ハイツ。今は風に吹かれようとも。ここはワザリング・ハイツ。いつか風に向かう朝まで」
(篠原美也子『ワザリング・ハイツ』1993年より引用)
風の強い夜になると、こうして引用するが篠原美也子『ワザリング・ハイツ』。
この強い風の中、長い髪をその風になびかせて俯き、忘れられない何かを想うその誰かがどこかの丘にいたりして…と想像するもその誰かが思う「決して忘れはしない、諦める事もない想い」の中味の想像はつかない。
強い風が、ゆるぎない決意を運んでくる夜になるのだろうか?しかしそれは誰の何の為の物かは解らない。
ここは、ワザリング・ハイツ。今は風に吹かれようとも。ここはワザリング・ハイツ。いつか風に向かう朝まで」
(篠原美也子『ワザリング・ハイツ』1993年より引用)
風の強い夜になると、こうして引用するが篠原美也子『ワザリング・ハイツ』。
この強い風の中、長い髪をその風になびかせて俯き、忘れられない何かを想うその誰かがどこかの丘にいたりして…と想像するもその誰かが思う「決して忘れはしない、諦める事もない想い」の中味の想像はつかない。
強い風が、ゆるぎない決意を運んでくる夜になるのだろうか?しかしそれは誰の何の為の物かは解らない。