舞蛙堂本舗リターンズ!~スタジオMダンスアカデミーblog

ダンス(フラ・ベリーダンス他)と読書と旅行とカエル三昧の日々を綴る徒然日記。

四代目誕生譚

2012-01-19 22:29:38 | about四代目
こちらの画像は生後10日くらいの娘です。

スタジオの隣の部屋に小さめのベビーベッドを置いて、目を配りつつレッスンしていました。
こうして右も左も分らないウチから耳と肌でスタジオの空気を受け止め、四代目が育っていく訳です。

本当は産まれた当日、新生児室にいる時の画像でもうpしようかと思ったんですが、それこそ後年になって娘に「何であんな写真を載せたのさムキーッ」とか責められかねないお顔なので止めておきます。

そういえば、昔読んだ中村うさぎさんの『ゴクドーくん漫遊記』てえライトノベルで、生まれたての赤ん坊を評して「サルのよーじゃの」という台詞があったんですが、いやはや、まったくもってそのとおり。
あのまんまサイズだけ大きくなったんじゃなくて本当に良かった。


ともあれ、今日は出産の顛末をお話ししましょう。


出産にあたり、私は「個室じゃなきゃイヤ」という断固たる意思がありました。

これはひとえに「二代目一人っ子の性」と申せましょう。

昔、拙ブログで「一人っ子は世代が続くと強化される」という自説を展開した事がありましたが、私に関してはまさにこれ事実でして、母に続いて一人っ子として産まれ育った私は、他人と同じ部屋で生活する事に凄まじい抵抗を感じるのです。
どのくらい重篤かって、大学入学後すぐに親睦を深める為の合宿へ出掛けた際、あてがわれた大部屋で過ごす事に耐えられなくなり、廊下のソファで寝ようとしたほどの有様です。

...し、しまった。こんな事を力説してたら10年経っても終わらんぞ。

とにかく出産なんて一大事に他所の人と同室は確実に無理ゲーだったため、出産時にお世話になる病院の候補はまず個人病院に絞られました。

母は大学病院を勧めて来たんですが、個室を希望したのにイザって時になって「ごめんなさーい。今個室はいっぱいなんですう。てへぺろ☆」...なぁんてライトなノリで大部屋に行かされたらたまりませんから、「完全個室」の明記がある所から選びました。

こうして選ばれた最終候補3カ所くらいのウチから、ご飯が美味いという絶対的な条件により、宇都宮市のCレディースクリニックに決めました。

後日、この病院で出産した人やそのご家族が意外と大勢自分の周りにもいた事が分った訳ですが、皆さん口を揃えて「あの病院はお食事がいいのよね」とおっしゃっていたので、私の判断は正しかったと言えましょう。


私としては通院は母と同じくらい(6ヶ月目でようやく初診、その後も数回しか行かず)と思っていたんですが、育児書みたいのを読んでも「初期は2週間おきに行くこと」と声高に言われていて、病院からもなんだかんだと理由をつけられて、けっきょくずいぶん沢山行くハメになりました。
病院嫌いの上にほとんど毎回やらされる血液検査が本当にイヤで参っちゃいましたね。

ただでさえビビリの私なのに、肉に埋もれてるせいか私の血管は非常に見つけにくく、見つけても肉が厚いせいかまったく採血出来ないという超難関血管なのです。

その事はあっという間に知れ渡り、しまいには血液検査のたびにCクリニック一番の採血の名手との呼び声高い看護師さんが必ず召喚されるようになりました。


問題はコレばかりではありません。
ららちゃん内蔵時代の前半は子宮内に出来たポリープの所為で切迫と診断され、一度は自宅安静、もう一度は入院させられてしまいました。
あくまでもポリープの所為なので自覚症状はなく、見た目も元気ですから、動いちゃダメと言われて相当なストレスでしたし、それ以上に「あんたサボってんでしょ。あァ?」とあからさまに言動に出しているマミちゃんの存在が心にイタかったです。

ポリープを取って切迫問題が解決したら、今度は血圧がヤバくなってしまいました。
まあ仕方ないです。己の生活習慣を鑑みれば当然の報いです。
これもやはり自覚症状としては大した事ないので、病院に対して「まあ私の事は放っといてくださいよ」と言いたかった(ほぼ実際に言った)のですが、当然そういうわけにはいかず、糖の検査をさせられたり検診のたびに採血されたりしました。


とはいえ、こんな事でめげる私ではありません。
「○○は酒ではない」(※○○にはミモザ、カルーアミルクなどが入る)をスローガンに、毎日を精力的に過ごしました。
夏は2泊の大阪出張に行き、出産の数週間前まで翌年の30周年発表会の下見やディズニーリゾートなどに駆け回り、もちろんレッスンは普段通りにこなし、イベントにも2010年末までは出続けました(それ以降も出たかったけど衣装が入らなくなるのよう、トホホ)。

そんな私の拘りとして、私はららちゃん内蔵中に一度もいわゆる「マタニティマーク」を付けて歩きませんでした。
もちろん私などと違って注意深く身体を大切にして過ごさねばならない(=世の中の殆どすべての)妊婦さんがこれを使う事は悪い事と思っていませんが、こんな風に普段通り仕事も遊びも精力的にこなしている人間があのマークを使って周りの人に気を遣えと主張するのは、アンフェアだと考えたのです。
同じ理由でマタニティドレスも着ませんでした。ビロビロした服を用いて、出来る限り人間内蔵中とバレないように生活していました。

けっきょくどんなに身近な人にも人間を内蔵している事(妊娠という言葉を使わないのも故意です)は自分からは話しませんでした。

事が終わった今、声を大にして言いたい。
私の状態に気づいていながら何も言わないでくれた皆さん、本当にありがとうございました。
そういう心遣いは、「あなたアレでしょ、おめでたでしょ(ドヤ顔)」とわざわざ声に出して言って来る人よりも遥かに暖かく、嬉しく感じました。


しかしなんでまた、私みたいにビロビロした服で明らかに「バレたくない、どうかただのデブって事にしておいて」オーラを発している人間に対してそういう事言っちゃう人っているんだろ(笑)。


閑話休題。

そんな風にレッスンにもどんどん出まくっていた3月7日月曜日、鹿沼でのレッスンを終えて夜のレッスンの前にちょっくらCクリニックへ検診に行ったら、なんだかやたら時間が掛かる。
どうしたのさ、と思っていたら、看護師さんから衝撃のひと言が...。

「じゃ、今日入院してください。そのまま出産です。」




オイイイィィィィィィ!!!




よ、夜のレッスンはどうするんですか。だいたい何も準備出来てませんよ。せめて荷物取りに帰らせてよ、と訴えた所、「もう陣痛を促す処置をしてあるので無理です。」とにべもないお返事......。

じょ、冗談でしょ。

有無も言わさず入院する事になるという部屋に案内され、「何時から促進剤の投与が始まるから覚悟しいや」と言われて部屋に幽閉されてしまいました。

それでも何とか粘ってシャンプーだけはする許可をもらい、スッキリした所で今度は「早く爪切ってください」と厳しいお言葉。

そう、私の爪は妊婦ではなくダンサーの爪。とかカッコ付けて言ってみましたが、ようはこのままじゃ出産させねえぞと脅されるくらい不適切な爪ってことです。
爪切り使うと爪が傷みますから、必至でヤスリかけましたよ。


じきに陣痛促進剤の投与が始まりました。
最初は錠剤です。
徐々に痛みが押し寄せて来るし、今まで会った事も無いドSなご婦人に叱咤されながら何度も内診を受けさせられるし、なんかもう出産への気力ダダ萎えな一晩でした。


ほとんど眠れぬまま一夜を過ごし、夜明けにいよいよ出産前に入る部屋に案内されました。
この頃には意識も途切れがちです。遠くから誰かの産声が聞こえます。

どうも私は体質的に帝王切開か自然分娩か微妙なラインにいるらしく、院長先生は最後までその判断に迷っておいでのようでした。
私の母マミちゃんもまさにそのケースで、彼女の場合は自然分娩の方向で準備していたのが土壇場になって帝王切開に切り替わり、部屋は移動させられるわ陣痛のまっただ中に誓約書見たいのを書かされるわ、そうとう悲惨なメに遭ったと聞いています。
そのため私もこの夜明けの時点で「どうか帝王切開にしてください...自然分娩無理っす...(ぜえはあ)」と訴えておりました。

なのになぜか自然分娩を諦めないんだな、この院長先生。
その理由は後で明らかになります。

けっきょく、帝王切開の方向で説明なども受けていたのに、土壇場になって「ギリギリまで自然分娩で頑張る」という方針に決まりました。
決まりましたって......本人の意思...は............???

もうほとんど泣きながら「やめてくださいいいいい」と叫ぶ私はほとんど無理矢理分娩台へ。

しかもそこに涼やかな笑顔の看護師さんが登場し、何やら点滴をくっつけて来たと思ったら、「このお薬で痛み付けていきますね~☆」と、地獄の使者もかくやのおそろしいご発言。

「こ、これ以上の痛みとか無理! マジ無理!!」
もちろん、そんな私の悲痛な叫びは誰も聞いてくれません、あるいは故意に無視されています。

やがて人もいなくなり、孤独に痛みと闘う時間がやってきました。
たま~に誰かが様子を見にくるんですが、「あ~、まだまだだね」と無慈悲な台詞を残して去っていくのみ。

そうこうしてるうちに、いよいよ出産の時です。
私「くぁwせdrftgyふじこ」
もう何を言ってるんだか自分でも分りません。
しかし、痛みに耐え続けた長い時間に比べれば、出産自体は思ったより楽だったような気がします。


無事「ふぇ~~~」という泣き声が聞こえて来たのを聞き、開口一番に尋ねました。
「本当に女の子ですか?」
私にとって、本人の無事が分った以上、最も気になっていたのはそこだったのです。
実はこの台詞、出産前にもエコーのたびに何度聞いたことか。ついには「...本当は男の子が良かったのですか?」と聞き返されたほどです。

ざっと身体を洗われて手元に運ばれて来た娘は思ったより重く、さっき私が削ったネイルアートと同じオレンジ色の爪をしていました。



大仕事を終え、ほっと一息ついていると、娘を取り上げてくださった先生(院長先生ではない)が爽やかな笑顔でおっしゃいました。

「いや~、自然分娩で本当に良かったって、院長先生も言っていましたよ。」

「帝王切開になっちゃうと、肉に阻まれて麻酔の針が届かないからねって。」

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