山の向こうからもくもくと入道雲。
そして、その方向から冷たい風。
遠くから聞こえる雷の音。
また夕立ちかなあ、と思ったけど、
いまのところ、ぎりぎり耐えてるかなあ。
一喜一憂しない、と心に決めたはずなんだけど、
いいことがあるとすぐに喜ぶ。
喜ぶのはいいよね。
落ち込むのはやめとけってことで。
ただ、ほんと?って、
ちょっと信じてないところはあるので、
期待はしすぎないようにしとかないと。
きょうは立秋なのか。
まだまだ秋がちかづいているようには思えないけど。
自分の中のものをどうにかして形にするために、
いろんな表現方法を模索するのは、
とてもまっとうなことだと思う。
印象派にしてもピカソにしても、
自分の描きたいものを描くために、
いろんなやり方を試した結果、
そうなったのだろうし。
たぶん、自由律俳句っていうのもそうだったのだと思う。
定型とか季語にしばられずに、
感情を自由に表現したい、と。
で、そうなると俳句と川柳の違いもよくわからない。
定型でなければ自由律俳句ってことなんだろうか。
まあ、川柳は語呂よくクスッと笑えるものっていうことなんだろう。
だから、話題になった朝日新聞のみたいな、
下衆くて、一部の人にしか笑えないものはほんとは別物なんだろう。
伊集院さんの夜のラジオのカルタのやつ。
自分はほんとに意味がわからなくて笑えないのに、
勝ちあがるのがふしぎだったのだけど、
朝のラジオで人気のコーナーだったということなんだろうかな。
空脳みたいなふんいきがするんだけど、
なら、笑うものでもないっていう感じなんだよなあ。
で、これって自由律俳句なんだろうか。
一行空脳って感じに思える。
山頭火や放哉がたどりついたものと同じでいいんだろうか。
伊集院さんが別物として、
なんか新しい名前を付けたほうがもっと盛り上がるのかもしれない。