おおみそか。
あまり見たいTVもなかったので、ほんとにひっさびさにゲームしてた。
PS2。
さすがに大そうじをまったくしないっていうのも気がひけたので、
2019年の最後にトイレをそうじしてふろ入ってそうじしたら、
紅白も終わってたので年越しそば。
KISSくらいは見ればよかったかな。
ふろから上がって、ついてた「笑ってはいけない」を見ながら、
おそばを食べてたら、いつのまにか年が変わっていた。
変なイントロだなあ、とおもったら「一本満足」
あの中に伊東四郎さんがいるとは。
方正さんのゴルフのしかけはどうだったのか気になる。
全局横並びで「ゆく年くる年」やってたのっていつごろまでだったんだろう。
あけましておめでとうもまだ言ってない気がする。
令和になるときはカウントダウンとかあったのにねえ。
なんとなくだらだらと「千鳥ちゃん」を見る。
金田さんはほんとに出なかった。
いつのまにかうしろにバイきんぐの西村さん。
はじめからべろべろのアンガールズ田中さんじゃないけど、
途中どっかで見逃してたのかと…
「爆笑ヒットパレード」を見ながらお雑煮食べてると、
おやつのお菓子を入れた紙袋の中でごそごそ音がする。
まさかと思ったけど、紙袋をつついてみたらねずみが飛び出してきた。
もう、ほんとに…
悪ささえしなければかわいらしいのかもしれないのに…
「100分de名著」を見る。
イワンはスメルジャコフを唆し、スメルジャコフは忖度した。
アリョーシャは”チャンスを与えた”イワンを責める。
未必の故意っていうやつなんだろうか。
”忖度”という言葉に反応する人はいそうだけど。
ドストエフスキーは農奴を唆したんだろうか。
神はなぜ黙過するのか、につながるけれど、
全知全能の神は”いない”と考えると、すべてきれいに収まるような。
ヒトも”進化”して神に近づいていくのだ、と固く信じているような人なら、
同じように悩めるのかもしれないけれど、
日本のように多神教の考えが根付いていると、そりゃそういうもんだろう、としか。
学生運動の時代によく読まれたというのはそういうことなのかなあ。
”分断”の話かどうかも。
そもそも世界が統一されるということも空想でしかない。
るつぼだと思おうとしていたものが、モザイクだったということ。
寛容に異文化を受け入れようと国境を開いた結果、
受け入れた集団がかたくなにその国の文化を受け入れずにモザイクを作ってしまうのが現実。
で、さっそく『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する」を読む。
カラマーゾフとカラコーゾフみたいな、
番組を見てて、うーんと思ってたことや、
暗殺失敗→恩赦→流刑、から思ってたことの答えが。
続編があったとして、アリョーシャを通じて、
ドストエフスキーが結ばせようとしたものはいまのロシアではどうなっているんだろうか。
あと、続編のあらすじを読んでいると、この番組で紹介されたばっかりの、
大江健三郎さん『燃え上がる緑の木』を思い出した。
インターネットは人と人との距離を縮めたように見えるかもしれない。
でも、そういう今の世界で、
こどもや”弱者”を使ってわかりやすい敵を作りだし、社会を分断し、
『憎悪を煽り立て、異質なものを排除し、世界を一色に染め上げようと』しているのは、
むしろ”るつぼ”になることを期待しているリベラルの側なのでは。
SNSがあるからこそ、まったく知らない同士が簡単につながってしまう、
見たくないものも見えてしまう、ということは確実にあるはず。
ほんとうは、ある程度の距離を取ってばらばらに”モザイク”であったほうが、
健全に暮らしていける人のほうが多いのではないのかな。
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