晴れてるし、湿度もそんなに低くないのにけっこう涼しい。
暑くないのは助かる。
なんの気配もないのに蚊にかまれてるのはなんでだろう。
「ものぐさ人間論―岸田秀対談集」も読む。
「日本論」よりこっちのほうがはまらない話が多かった。
中島梓さんがおもしろかった。
BL流行りのいまでも、やおいとかJUNEとかいうんだろうか。
「コミュニケーション不全症候群」はずいぶんむかしに読んだ。
たぶんどっかにあるはず。
そのころの成熟拒否だったり女性性を拒否している人というのと、
そして今のBL好きの人とは重なるんだろうか。
LGBTを支持していることとBL好きとはちょっと違うような気はする。
「おっさんずラブ」がウケて「俺のスカート、どこ行った?」がそれほどでもなかったみたいな。
あと、空間と時間の混乱、という話もおもしろかった。
この対談があったころよりも、もっとそれは進んでいるようで、
オンデマンド配信にラジオですらタイムフリー、
好きな時に好きなことができる世界。
いつでもつながることができる「世界が全部、子ども部屋」
それは「共同幻想がある」という虚構だと。
でも、みんなある程度気づいていて、だからよけいにつながろうとする。
スマートフォン。オンラインゲーム。ネットの実況。バルス祭りみたいなのもそうかも。
”オタクのマーケット”ができ始めたことにも触れられている。
この対談では「静かなる滅亡への道」ではないかと語られているけど、
今ではすっかり定着して、ネットからメジャーに進出、どころか、
ネットのままですっかり市場として完結できるようになっているみたい。
そういう(その時代での)未来への解決策として、
中島さんは「物語の復権」ということを話されてるんだけど、
実際それに似たようなことは起きてたように思う。
「電波少年」とか「ヘキサゴン」「あいのり」とかもそうかもしれないけど、
ある人たちが課題を与えられてゴールに向かって進む。
ゴールさえすれば、なにもかも解決、みんな幸せ。
そうやってみんなで感動を共有する、やさしい世界。
でも、そういう作られた「物語」を一気に色あせさせたのが、
アメリカのテロと東日本の震災だったのかも。
想像もしてなかった途方もない「現実」のあとでは、
作られた「物語」はそんなには力を持ってないような。
そして今もまだいろんな人が「物語の復権」と…
「真実を伝えるために必要な嘘」というのはわからないでもない。
でも、まずはなるべく正しい現実を知るべきなのかな、とも思う。
中島さん、今ならどんな評論を書かれたんだろうか。
あとおもしろかったのは、意外と虫の話ではなかった奥本大三郎さん。
マンネリズムとオリジナリティ。
99%のワンパターンと1%の工夫。
仕事は苦役か修行か。西洋の労働のイメージは石臼のまわりをぐるぐる回るヤギなんだそう。
「無給医」の件を思い出した。経験を積むことは重要。
いっぽうでは実務経験を要求されるのに、未経験者は雇ってもらえないという現実もある。
「無給」でも働く場所、経験を積む場所があるというのは幸せなことでもあるのかな。
実際、医師免許を持ったばっかりの人がすぐにひとりで開業できるとも思えないし、
そんなお医者さんに診てもらうのは不安だし。
でも、そういう新人の医師がふつうにベテランの医師と同じように働いていて、
同じように診察もしていて「無給」っていうのは問題があるんだろうな。
それは患者の信頼に十分応えてるともいえない。
あとおもしろかったのは松本健一さんの、
「地球社会」やら「グローバルな世界」というのは日本人の幻想だという話。
山口昌男さんの、国境がなければ民族問題はない、っていうのはちょっと。
陸続きや海伝いに移動していった先で、いまなにが起きているのか…
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます