しっけが多い。
そろそろ網戸のすきまをなんとかしないと。
というか、しばらく前の長期予報に、
おひさまマークなんかひとつもなかったのに、
きょうはなんで晴れだったんだ。
きょうはあんまり歩かなかったからまし。
まあ、いたいのはだいぶましにはなってきた。
もうすこしのしんぼうかと。
4月25日になるといつも思い出すことがある。
いつのことかもはっきり覚えてない。
高校受験か大学受験か。
ちょうどこの日にあるバンドの来日公演があって、
チケット取りたいって言ったら、
そんな先の話なにがあるかもわからないからやめとけって言われたこと。
まあ、たしかに環境変わるとどうなるかわからないしなあって、
いまなら思う。
でも、たぶんそのラインナップでの来日はそのときだけだったはず。
とはいえ、ヴォーカルとギターの仲の悪さが頂点に達してて、
ギターはステージの端でアンプに向かって演奏してたとか。
そのあと出たライブアルバムもいまいちだったしなあ。
いま考えると行かなくてもよかったかなあとも思う。
そうなのよねえ。
チケット取るときと見るときの状況の変化って、
環境だけじゃなくて、
その間に熱量が変わるときもあるからなあ…
ぜんぜん関係ない、名前呼び捨ての話。
沖縄とか同じ苗字が多いから、
名前呼び捨てっていうのは聞いたことあるし、
ほかでも同じ苗字の家が多いところだとそういうのは聞く。
太郎さんの家とか下の名前で呼んだりするし。
でも、そうじゃないところのほうが多いんじゃないかな。
自分のあたりまえがみんなのあたりまえではないから、
そこのふんいきに合わせるのがいちばん無難ではある。
”同調圧力がー”とかいう人もいそうだけど。
もっと関係ないある動画の話。
その二人と戦争指導者でも独裁者でもない方を並べるっていうのに違和感はあるけど、
それがどこまで理解されるべきもんなのかはよくわからんところでもある。
まあ、仮に別の宗教の国同士が争ったときに、
お互いの宗教的なものを持ち出したらどうなるかっていうのに近いのかも。
ただ、ドイツにしろイタリアにしろ、
戦争責任をぜんぶおっかぶせて悪人に仕立て上げられて、
好き放題叩いてもいい存在にされてるふしはある。
イタリアなんてそのおかげで戦勝国を名乗ろうとしたり。
そう考えるとそこと並べるのはとてつもなくありえないことだなあと思う。
理解されるかどうかはわからないけど。
ただ、イタリア、ドイツも含めて、
援助をしてもらいたい立場であるなら、
いろいろとややこしい過去のことをほじくり返すのは、
あまり得策ではないように思う。
敵に回してしまってはなんの意味もないんだから。
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