無印良品って八尾の西武にあったっけ。
できたころってあの紙袋が、
なんかかっこいいなって思ってたけど、
買い物したことはないかも。
高くていいものはあたりまえだけど、
いまはそこそこのものでも安いものを買いたい。
西武のあとはLINOASに変わったみたいだけど、
まだ行ったことない。
あんまり変わらないのかと思ったら、
本屋さんがなくなったみたいなので、
もうなかなか行くことはないかも。
「Aさんの話」のウソの見破りかたがおもしろかった。
ただ、なんの良心も持たずに、
見破られていたとしても平気で、
どうどうとウソをつききってしまうような人には、
なんの手だてもないけれど。
そのあとは、土曜日に半分見のがした、
高野山の「ブラタモリ」と「クレイジージャーニー」
どっちを見るか迷ったあげくに、
「ブラタモリ」のほうを録画しようって決めるのが遅くて、
結局、見のがした部分を見逃した。
なにをやってるんだか…
でも「クレイジージャーニー」のクジラ漁おもしろかった。
ディレクターはもうちょっとちゃんとした方がいいと思うけど。
たぶんむかしの日本のクジラ漁もあんな感じだったんだろうな。
いただいた命はあますところなく使い切る。
海の民、として同じようなルーツを持つのかもしれない。
先住民に一番いい部分を渡すっていうのもおもしろいし、
ナガスクジラに乗ってやってきたから、
ナガスクジラは殺さない、とかいうのも。
あと、クジラの頭を海に帰すっていうのは、
アイヌだったか、イヌイットだったかで、
クマの頭を森に返すっていうのがあったような。
こういうのを見ていろんな感じ方があるのは当然だと思う。
ただ、そのうえで自分と違う感じ方をする人がいることを、
認められるかどうかっていうのが、
「複数性」だったり「多様性」ってことなのだと思う。
「ブラタモリ」の高野山もおもしろかった。
こどものころ家に帰るのに、
よく新今宮から堺東まで高野線に乗ってたんだけど、
「こうや号」があこがれだった。
あのイヌみたいなデザインのやつ。
もちろん高野山になんか行けるわけないし、
一駅二駅だから急行に乗れるくらい。
それでも短い車両になんかごてごてした感じが好きだった。
そのあと、たしか小学校の林間かなにかで高野山に行った。
なんか代々おなじ宿坊で、
冷たいカレーがおいしくないって聞いてたら、
ほんとにこどもの口にはあわなかった思い出。
でも、それっきり行ってないので、
また行きたくなった。
いま、みうらじゅんさんの「マイ仏教」を読んでるんだけど、
やっぱりあそこには、お坊さんになりたくてもなれない人と、
なりたくないのにならなければいけない人がいるんだろうか。
母親のいとこがあそこにいたはずだけど、
彼はどう思ってたんだろう。
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