きょうは天気はいいけど、あったかいのかどうか。
薄着になるとちょっとひんやりするけど、上着着ると暑いのかな。
いちばん難しい感じ。
ちょっとあれって思う記事が多い。
『地方当局者は「新たな感染者を1人でも出せば処分する」という指令を受けている』
こういうことが起きてる国の統計を信用できるかどうか。
『飲食店で「日本の感染が続きますように」と横断幕
専門家らは「冷静な判断を」と警鐘』
「共に手を洗う」のではなかったのか。差別をしているのはどっちか。
『政府は自粛要請によるイベント中止などの影響に伴う損失を補償すべきです』
一発当たれば大きいという、不安定な職業を選んだのは自分。
「もらえるもんはもろといたらええんや」って言った人がいたけど、同じ。
責任を逃れるために「自己責任」という言葉を消そうとするのは卑怯。
『正しさの確率』という記事はよかった。
『ネットでは少し特異な人がいても、その発言を他の人の評価でクロスチェックでき、
繰り返すと医療関係者全体の共通認識が見えてくる。』
「ネットでは」というのが大事なところ。
ワイドショーは両論併記であるべきだろうし、
中立であるべき司会者が番組として拡散したい意見に肩入れするのはおかしい。
100日のワニでも、論点がいつのまにかすり替わっている。
広告代理店がどうとか金儲けのなにが悪いとか、たぶんそういう問題じゃない。
盛り上がりがピークになるように、うまく流れを作ったはずがそうならなかった。
流行や世論を操作しようとすること自体がもう受け入れられなくなって、
もう大衆からは反感を買うようになってしまったということ。
これも考えさせられる。
『イタリアの聖職者らが相次ぎ死亡、患者の臨終に立ち会い 医師の死者数上回る?』
日本人が宗教に無関心だからって書いてる人がいたけれど、
そうではなくて、逆に天変地異が多すぎて、
宗教が力を持つことができなかったのではないかな。
天災地変の前には善も悪もない。
善行を積んでいようが、悪事を働いていようが平等に災厄は訪れる。
いくら徳を重ねたお坊さんにも、流行り病は容赦なく襲いかかる。
そういうことが続いた結果、日本の宗教は、
変わらないものを求めてなにかにすがるよりは、
変化を受け止めて、なすがままに運命を受け入れる人生訓みたいなものになったのでは。
感染症を防ぐためには、神に祈るのではなくて、
過度の接触は避けて清潔を心掛けるようになるような文化になり、
お天道様に顔向けできるように自分を律するようになった、ということかな。
今シーズン最後の「短歌de胸キュン」
あんまり刺さるものがないなあと思ったら、
他人の「自分」にあまり興味がないということみたい。
その人が知ってる「自分」は自分が見せたい自分だったりするし。
小沢さんについての歌も、病院の歌も、
井戸田さんのは自分を客観視できてる感じがあっていいと思った。
いちばん身近に見てる人の選んだ「俺の生き様」は小沢さんらしいのかも。
でも、小沢さんの「今日の小沢」は先生が変えたほうがよくなったと思う。
そして佐伯先生、また卒業。
「やさしい笑顔で強めのダメ出し」とか「言の刃」とか、
やっぱりみんな厳しさを感じてたんだろうかな。
井戸田さんには薄っぺらさを感じます、っていうのも…
女性陣の歌。そんなに悪くない気がするのに選ばれなかったってことは、
4月からはもう…ってことなのかな。
この番組、先生はちゃんと卒業するけど、
レギュラーメンバーはしれっといなくなるから…
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