最後の「殿様あさかぜ(1/4)」の客車14両すべての床下機器交換、これまで室内灯・車輪・連結器の交換を経ました。 1両ずつ進めていきます。 オハネフ25-205を施工中。
販売が不振のようで来年度から休刊です。 この数年、資料性が低かったので購入しませんでしたが、そこまでとは。 画像は良き時代の表紙です。
「大寒」だと、「大寒」と言えば小学生の頃「大寒訓練」と称して朝礼時になわとびをやらされてましたが、風邪をこじらせたこともあり、「寒いのにあほなことするなぁ」と思ってました。 昔は先生の力が強かったですが、母(注:元幼稚園の先生でした)が学校の先生とやりあったときは怖かったなぁ。
その上に、今日は昼前から父の看護なのと今夜仕事なのに寝てたらパトカーと救急車のサイレンで起こされ始末、聞けば自転車の事故、禁止なのに歩道を走ったり進路妨害をしたり、歩道に停める輩が居るのだから、徹底して取り締まってほしいものです。 救急車のサイレンは世話になったことがあるのでしかたありませんが、自転車の運転者の常識のなさは困ったものです。
救急車のサイレンを聞いて思ったのですが、今日は文化財防火の日で、法隆寺の国宝が火災の日です。 自分にとって火事は今の家に引越してすぐに近所で火事があったことでした。
画像は北陸トンネルの慰霊碑です。 この火災と映画になりますがタワーリングインフェルノは「電気火災」でした。 まもなく「電気」かな離れて1年、「見えないものは怖い」と改めて思いました。
子供の頃を過ごした阪神間、関東に住んでいてもあの惨事は忘れることができません。 能登の地震も真冬の1月でしたので大変でした。 能登の地震は課題図書を読んだことと、お世話になってる住職さんが金沢出身でしたので身近に感じます。 祖母の葬式の後「金沢回って夜行で東京に戻った」と言ったら「“能登”に乗ったやろ。」とバレバレでしたが。
NHKラジオで「明日への言葉」で浄土真宗の故豊原さんのことを知り、震災で娘さんを亡くされたことを知りました。 弟と同じ歳でした、弟は最初の正月は家にいませんでしたが豊原さんが同じ病院に入院されてたこともあり、また西ノ宮駅の近くにお寺があったこともあり我が身のことのように思えました。
画像は三ノ宮の生田神社です。 弟の七五三で「にいちゃん何言ってんの?」と聞かれ適当に「南無阿弥陀仏」と答えましたが、、、違うだろ。 この生田神社も被災しました。
自宅は耐震建築なのですが、いつ地震がくるかどこにくるのかわからないのです。 自分が被災すれば感謝し、手を差し伸べることができたらできるだけのことをしたいと思います。 東北の地震では救助に来た自衛艦に言いがかりをつけたりした被災者や役所で展示があったとき原子力発電所を誘致した責任を全く感じなかった現地の人をのを見てるので情けなく感じました。