
2月の横浜フェスタのカツミのブースで撮影しました。 サロ153-900だけと思えば「東海道・山陽緩行線のサロ111-900も作ります。」と聞いたので即予約、4月に連絡をもらい引き取ってきました。


トレーラーながらかなりの値段でしたが、増税前の特需の忙しさと引越しの疲れの解消になりました。 手持ちの113系の非冷房湘南色と編成します。
昭和49年に16番を始めました。 そのころ甲子園に住んでおりよく見ましたがほとんど空席だったと思います。 「裕福」なおじさんや身なりのいいお子様を連れた親子連れが乗ってました。 父親に「グリーン車に乗せてくれ」と言ったら「あほか」の一言、そのころはまだまだ特権階級の乗り物だったのです。 そんな父が16番開業のときは一番協力してくれました。
戦前の「1等車」や戦後の「グリーン車」の存在が「役所の幹部」用と知ったのはそのずっと後のことでした。 「きたぐに」のオロネ10やサロネ581、新幹線開通前の博多「あさかぜ」のナロ10がその用途でした。 父の影響か自分が「あかつき」や「なは」に乗ったときもすべて座席車でした。 北九州-関西の寝台は贅沢に思ってたのでしょう。 父の学生時代、京都の大学で九州に帰省するときはいつも座席車でした。 当時はそれが普通だったのですが、その上に節約することを考えたようです。