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「首都圏色」この名前を聞いて「ゆうひが丘の総理大臣」を思い出す世代です。 53-10改正で国鉄もスリム化を開始した頃で、紀勢線の和歌山県側電化、山陽線では最後のブルートレイン15形の登場、「阿蘇」+「くにさき」が併結運転になった頃です。
この頃、キハ40系は京都模型の製品があり、手元にもありますが当時はそれほど興味が無く、京都駅の片隅でとぐろを巻いている印象しかありませんでした。 和歌山線で通学していこ時は、天王寺鉄道管理局の一般型の気動車の手持ちがキハ35がほとんどでキハ47に乗る機会はありませんでした。 キハ45もよく乗りましたが、一般色のキユニ28が京都駅以外で見たキハ40系の「顔」でした。 山陰で旧型客車を追いかけてた頃によく乗ったのがキハ47でした。 そして廃止直前の佐賀線で乗ることになりますが、ほとんどが2両編成でした。
さて、このキハ47-1000は一番最初の製品で室内灯が電球です。 新車と仕様を合わせるのでここからいじらなければならずですが、動力化は考えていません。