削除されましたが動画で50-3改正前の関西発着の夜行列車の画像がありました。 最終日の屋久島は昼行区間の運転のみでしたので座席車で編成されてました。 スロフ62やスハ44で編成されてましたが茶色のオハ35539(門ハイ)もつながれてましたのでこれを作ることにします。 プラ地肌の部品から塗装します。
実はこの列車、「屋久島」としては最後でしたが、元々は東海道区間が夜行、山陽区間が昼行、九州内が夜行列車でした。 そして列車名が「さつま」で無賃乗車を思い出す名前でした。 名古屋発の時代は食堂車を山陽線内で連結し編成の端の方でしたので、スイス国内を運用する国際列車のような編成でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/66/ff4df3f953bf17645ea8a647cd094b97.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/4d/5905c67b25e996d1632eddeadd551187.jpg)
50-3改正後は「かいもん」として運転されました。 そののち、日豊本線夜行の「日南」(もともとは{みやざき」)と共通運用されてました。 画像は20系時代の{日南」です。 帯が一つないので間が抜けた顔でしたが、この数日後に寝台車は25形になり荷物車が外れます。 昭和61年10月、門司港で撮影しました。