元旦の北陸地震は寒い中なので阪神淡路地震を思い出しました。 地震の3週間前に祖父の1周期で京都に行き、墓参りの後は大阪神戸と模型店を巡りました。 当時三ノ宮に店があったKOKで委託品の模型を求め三ノ宮から大阪に出て新幹線で帰りました。「火垂るの墓」が作り話なれど、このような話はいくらでもあることですが、最初の場面にあった阪急三ノ宮駅を見たのがこれで最後でした。
95年当時は義援金をだす余裕がなかったのですが、13年前はそれなりにできました。 しかし原発事故は、せっかくの新しいエネルギーの平和利用がこのような形になってしまい残念と思います。 そして東京電力(株)の職員が責められるのが気の毒に感じました。 それに追い打ちをかけるがごとく水産物の風評は四方が海の日本には辛いものです。
「ひとりぼっちの政一」だけでなく北陸には縁があり、故人になられましたが京都のお寺の住職が金沢出身で、祖母の葬式の後、金沢を回って帰った話をしたら、~「能登」にう乗ったんか~と言われました。
災害は避けられませんが、自分にできることをやっていきたいと思ってます。