とら箱

後期高齢者で元気な父と暮らしてます。 自分も還暦を迎えました

「山陰」最後の夏(23) 

2021-09-05 21:00:00 | プラ完成品の加工
 60-3改正で「山陰」は廃止になりオハネフ12はすべて廃車になり、12系客車の近郊型・通勤型改造が始まりました。 59-2改正のあと「山陰」に乗るべく京都駅の山陰線ホームに行ったら荷物車はなくオハネフ12と5両の12系客車でした。 急行列車並みの編成でしたが今回も含め出雲市には3回往復することになります。

 84年の夏は猛暑で、青春18きっぷの有効期間の間に山陰に行けたらいいな、と思ってたら当時勤めていた会社の上司が「夏休みとって」と言われ山陰にでかけました。 大垣行きに乗り、乗り継いで関西に行き子供の頃を過ごした町(甲子園)や神戸に行き最初の1日は関西で過ごし京都で銭湯に入り「山陰」のオハネフ122018に乗り込みました。 嵯峨あたりで寝つき綾部福知山そして餘部も夢の中、浜坂で目が覚めてホームに出ればはるかかなたにオハニ36がいるはずでした。 夜が明けて宍道湖沿いの心地よい風を感じたら出雲市、客貨車区を見学し撮影しました。 この日は8月25日でホームでオハフ33627を撮影しましたが、最近になってFacebookで同じ日に同じ場所で撮影した方に巡り合うことになりました。

 その頃、受験に失敗し吉祥寺で勤めてました。 同世代のアルバイトの学生は系列校からエスカレート式で大学に入学してました。 地方の高校出は厳しい時代でしたが受験という束縛から抜け出しました。 僻みっぽくなってはいましたがそれなりに楽しく過ごし、三鷹や荻窪の模型店にも出入りしてました。 伊勢屋でコップに入った焼酎を日本酒の如く飲み干したのも20代前半の思い出です。


 6両分の室内灯の電源の配線が終わりました。
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