20系客車の格下げ運用の特集です。 12系との混合編成は好きでしたが乗る機会はなく、20系に乗ったのは95年に臨時急行「桜島」で西鹿児島から新大阪までが最初で最後でした。
「さんべ」で運用されていた、ナハネフ22です。 59-2で早々に廃止されました。 相方の12系客車は「山陰」で運用され翌年に廃止。 そして一部は近郊型に改造されました。 1984年3月 出雲市
「日南」で運用中のナハネフ22です。 数日後には25形になります。 ラインが1本消されて顔つきが変わってます。 電源方式が違う20系を12系と連結する改造をしたのは経年と3段寝台が理由でしょう。
マニ50も数日後には運用されなくなります。 1986年10月 門司港
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます