
今も変わりませんが皇室用ホームを入れて撮影してます。 183系+クロ157の編成が皇室用ホームに停まってたのを見たのが、157系を見た最初で最後でした。 憧れの湘南電車157系を見ることができませんでした。 特にクモハ157系にモハ+クモハのユニットを増結した編成を見たかったです。

EF64は関西地方には縁がありませんが、原型・1000~共に好きな機関車です。 EF61や62と同じ新型機関車で客車列車を引くからです。

機関車の次がマニ50、冬の日差しで逆光です。

殿はワサフ8000、エンドウのをどこかにしまいこんでます。

後ろに皇室用のホームが見えます。 東北-東海道を連絡する荷物列車です。

ブレてますがマニ50、今は見られません。

殿はスニ41です。 手前には渡り線、隣の103系も気になります。

年末にポイントコントローラーの電源として24Vを12Vに変換するスイッチングレギュレーターを購入しましたが、その基板がクガデンから出てるので購入しに行きました。 千石電商で見当たらず、発売元のハンコ屋へいきました。

これがその基板です。

こんな感じになります。
銀座にいきます。 有楽町の駅に降りましたら火事の臭が鼻をつきます。 火災の発生箇所が判明しましたが、水槽の配電盤ということです。 この場所は「海物語」のイメージとして熱帯魚を展示してた場所でマリオンへの抜け道でした。 戦後のドサクサの土地の取得も絡んでる狭い路地です。 昭和時代になりますが、そこに喫茶店があり、手が出ない機関車を見に行ってはアイスコーヒーを飲んでた思い出があります。 天津甘栗も売ってましたが、いつのまにか喫茶店と共になくなりました。

分電盤が火元と言われてますが、分電盤の遮断機(ブレーカー)が落ちる前に接続部から発火したと思われます。
このような電気火災は多々発生します。 自宅近くの寿司屋も生簀のいポンプをタコ足配線で火災が発生しました。 となりの蕎麦屋や美容院ももらい火を受けてました。 蕎麦屋は高齢者が営業し始めあたばかりでよく行ってました。 寿司屋の店のなかが通りから見えてたので「危ない配線をしてるなぁ」と思ってました。
1月3日の火災でユーターンラッシュの利用者は気の毒に思います。 品川駅を折り返しに使えなかったのが乗務員や整備の要員が東京に配置されてるのが理由だったようです。
何のための新幹線品川駅かと思います。 危機管理ができてません。 国鉄時代、上野駅の混雑を補うのに東北本線の臨時列車は品川から山手貨物線を回って北上してました。 今は客車が配置されてませんが、品川客車区には整備する設備があります。
個人の考えですが東海が東日本に品川着発の車両の整備を要請すればよかったのではないでしょうか。 田町では「踊り子」の車両の整備をしてます。 裏を返せば東日本と東海の柵があるから利用者に迷惑がかかったのです。 火災を発生したのが1番の原因ですが、非常時の対応ができなかった東海や東日本にも問題があります。

もう少し見やすい角度からアップします。 横川のナハフ11 1はトップナンバーだったので保存されましたが、できれば電気暖房仕様の10系客車も1両欲しかったです。 オシ17 2055は台枠が旧型客車なので新造した10系客車とはエンドビームの形状が異なります。

9年間使ったオリンパスOM-1からニコンF3に買い換えた初期の画像です。 昭和60年12月の撮影でこの年の3月改正で「山陰」のオハネフ12が廃止され、10系座席車も淘汰されナハフ10が西舞鶴に留置されていましたが、首都圏では事業用ながら生き残ってました。 冬場なのに暖房の釜や電源のないEF65が引いてましが、独立した暖房機を搭載してました。
この列車は品川客車区の車両を検査などで大宮工場に回送する列車で、ナハフは控車でした。 この日は荷物(客車)がなく30tのナハフを1000t牽引できるEF65-1000が引いてます。 山陰に追いかけるネタがなくなり、首都圏にあったわけですが、この頃はもう一つ追いかけており20代前半の一番忙しい時期でした。
荷物のある画像は後日アップします。

オハネ25-100が4両、オハネフ25-100が2両あります。 最初は金帯の「あさかぜ1/4」だけの所帯でしたが、いつの間にか銀帯がその数を越し、そしてロビーカーの問題が解決したので「富士」「はやぶさ」そして「銀河」、スハ25やオハネフ25-300とオロネ25-300が手にはいれば「あさかぜ3/2」「瀬戸」が編成できそうです。
塗装済みキットをよく見れば素地そのままに化粧した感じで、「ファンデーションしろよ。」と言いたくなります。 プラの質感を消しただけですが、細かいことを言わなければ遠目にはよく見えるので、色差しを加えれば何とかなると思います。 しかしこれら全て中古、ノークレーム・ノーリターンです。

方々で入手した有井のプラキットです。 800円の時代の古いものから1000円までありますが、3年ほど前から窓ガラスがはめ込みになりました。 そして昨年後半発売分から1500円に値上げになりました。 50%の値上げはきついですが、逆にここまでこの値段で出してきたことが難しかったのかもしれません。 このキットが発売されたのが昭和53年のブルトレブームの頃で当初はオハネフとオハネとオシだけでした。 この時の53-10改正の頃、津に住んでましたので「くろしお」の381系化や「あかつき」の14系15形の登場、少し前には「かいもん」「日南」が寝台車は20系・座席車が12系になりました。
また、福知山線塚口駅で宮原から大阪発の特急列車の折り返しもこの53-10改正で廃止されました。 元々は展望車のついた「つばめ」「はと」の方向転換と折り返しのために福知山線は塚口まで電化されましたが、電車化されてからも有効に使われました。 昭和50年に塚口で485系を見たことがありましたが、その列車でした。 53-10以降で電車列車は廃止されましたが、56年以降、福知山線の電化で再び使われることになります。
3月で「あけぼの」の廃止で原型のブルトレは見られなくなりますが、全盛期に発売されたこのキットがいつまでも発売されることを願います。

1994年ですので今から20年前、東急百貨店にあったカツミの催事の案内で「プラ塗装済みキット」とあったので、見に行ったら有井のプラモデルを塗装して金属製の台車・車輪をつけたものでした。 プラの素地だと見方によってはスケールモデルでも見劣りするので塗装済みキットを出したのですが、当時の価格は2800円、「自分でできるかな」と思い購入は見送りました。
中古店で安くオハネフ25を入手し、オークションでオハネ25を4両・オハネフ25を1両落札し改めて見てみるときれいに塗装はしてあるものの、色差しがないことから真鍮完成品と比べると見劣りはしますが、手を加えると妻板のディテールもよくできているので、良くなるでしょう。 画像が左がカツミ、右が有井。 中間につなげればそれなりに見れます。 これで「銀河」を編成しましょうか。

昨年の年末の購入です。 「銀河」の最後尾に使うつもりですが「はやぶさ」、中古ですからそれはいいとして、1998年製造。 現行品との違いはLEDの室内灯と前位(トイレ側)の尾灯がないこと、あってもなくてもいいのですが。
ずいぶん昔、と言っても民営化されてからですが、「瀬戸」か「あさかぜ」の記録をとってた時に不思議なことに気がつきました。 オハネフ25-100の後位(車掌室側)が神戸向きに連結されていたことです。 荷物室付のオハネフ25-300が方向転換改造されたのは知ってましたが、本来はオハネフ25-100は200と違い、方向転換できないはずです。 空調の電源が引き通せないので運用できないはずでしたが、営業運転してました。 不思議に思いながらも列車そのものはなくなりました。