『お疲れさわー』ってタイトルが浮んだ。
理事長のお仕事は今日の総会で終了となりました。
私の奥ゆかしい性格を知っている理事の方々は『お疲れ様でした』って
愛ある本気の労いの言葉をくれたわけです。
そうなると、お調子者の私は、やっぱ自分を誉めたくなるわけです。
家には日本酒と焼酎があるけど
お疲れの自分自身への乾杯はビールにしよう、でブログタイトルは
『おつかれさま』⇒『おつかれサワー』が良いと閃いたのです。
ライフストアまでビアとサワーを買いに行った。
ヌルヌルサラダも買ったし、鶏塩焼きも買った。
祝杯!『お疲れ、理事長、お疲れサワー』
わりと私以外の人は大人なのだ、という所から考え
自分以外は結構ちゃんとした大人なのだという思考のスタートが
私の基本的方針なのだ。人を見下したことが無い。本当だ。
でも、意外と『あれ?』って思うことがある。
『何、この人言ってるのだろう?大人気ないなぁ
えっ、どうしよう、フォローしてあげないと、まずいよなぁ』みたいな
感覚が出てくるわけだ。
で、気づいたのだけど、結構私以外の大人も
年相当に大人でなかったりするものだ。
私だけでない事に安心はするのだが、世の中に不安を覚えるのも確かだ。
私は手先が不器用である、何をやっても手先が不器用なのだ。
大工の息子なのに不器用なのだ。
でも、心が不器用な人に比べたらマシなのだと思う。
私が手先が不器用な事をちゃんと自覚しているから
器用さを求められた時には、予め予想される結果を述べられるけど
心の不器用な人は、いきなり心に傷をつけてくる
タチの悪いのは心の不器用な人は自覚が無いという事だ。
どうしようもないくらい自分に自信を持ちすぎているのだ
触ってはいけない自信の兜は
人からはコワイほど脆く見えて触る事を躊躇されているのを気づかない。
可哀相な人だ。