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発想の転換

2008年07月07日 | コーチング
今、マーケティング計画のコーチングをしているんですが、
先日紹介した「『三越小僧読本』の知恵」の中に出ていた日本の昔のマーケティングのお話しを聞いて下さい。

東京にある創業四百年の創り酒屋「豊島屋」さんの昔のお話しです。
創業は慶長年間、といえば、太閤秀吉の晩年あたりになりますね。
江戸鎌倉河岸で創り酒屋の「豊島屋」を始めます。

時代は下って、享保年間に入ります。八代将軍吉宗や大岡越前が活躍した時代ですね。
享保の改革と云われた大不況の時代です。
豊島屋は、一杯飲み屋をやっていましたが、世の中不景気なので売れ行きがよろしくありません。
このままではいかんと思った豊島屋は、大安売りの居酒屋で勝負に出ます。
酒は、どこの店よりも安い元値売り(原価)、肴も何処よりも安く味も良かった。
しかも、自家製豆腐による、特別大きな田楽を1本2文(今のお金で20円ぐらい)で出したことも、人気沸騰の一因だったそうです。
当時の川柳に 「田楽も鎌倉河岸は地物也」と詠われたと、「江戸300年」という資料の中に書かれています。

では、どうやって豊島屋は、仕入れ価格で酒・肴を売って商売が成立したんでしょうか?
この話を読んだときに、どうやったのか非常に興味を持ったんですが、皆さんはどうでしょうか。
お解りになりますか。

新しいビジネスモデルを考案したんですね。
当時の江戸はリサイクル・リユースの都市だったのはご存知だと思うんですが。
当時の傘なんかは竹と柿渋を塗った紙で出来ていましたから、紙が破れたら何度も紙を貼り直して使っていました。
傘の骨が折れて使えなくなると、壊れた傘を買い集める商売があったんです。
集めた傘から竹の骨を取りだして、それで、虫かごを作って売ったんですね。
こう云う仕事は主に下級武士や浪人ものが内職としてやってました。

話がそれました。
で、豊島屋の話に戻りますが、酒が安いもんですからドンドン売れて、酒樽がドンドン空になる。この酒樽は、新しい木で作ったものなんです。古い木では酒に匂いが移っちゃいますからね。
当時の江戸では沢山の樽の需要があったそうです。
桶や樽を治す専門の職人も居ましてね。その人達を「たがや」って呼んでました。「たがが外れる」とか「たがを締め直す」なんて云う言葉になって残っています。

ですから、一日に酒樽が20個も出るとそれを売って儲けを出したってことなんだそうです。

と、云うことでした。如何でしょうか。
これは、凄い発想の転換ですよね。
豊島屋さんが、どうしてこんな発想の転換が出来たのか解りませんが、
私も出来ることならクライアントさんに、こんな発想の転換をして貰えるようなコーチングをやってみたいと思いますね。