2002年2月16日(土)
オリジナル・ジャケット
林亭「夜だから」(MIDI MDC4-1180)
1.夜だから
2.もういいかげんに
3.アメリカ女
4.夜汽車にのって
5.わたしが一番きれいだったとき
6.ノミのダンス
7.名古屋まで12キロ
8.さるまたの唄
9.神田橋
10.おろろんばい
11.また惚れるブルース
12.あの娘に会いたいね
林亭(はやしてい)、1973年のアルバム。彼らの初めてにして、唯一のオリジナル・アルバムである。
「林亭」とは、佐久間順平と大江田信のふたりによるアコースティック・デュオ。
69年、当時高校の同級生であった彼らが「ユマニテ」というグループ名でアマチュア活動をはじめ、その後、この名前に改称している。
グループは76年春まで活動を続け、彼らの大学卒業とともに、解散となっている。
実はこのアルバム、200枚限定で作られた自主制作盤だったという。
彼らが活動の拠点としていた吉祥寺のライヴハウス「ぐゎらん堂」などに置かれ売られていたということで、まったくメジャーな販路には乗っていなかった。
そのため、高田渡、泉谷しげるといったメジャーなシンガーたちに絶賛されたにもかかわらず、ごく一部のファンの手に入ったのみであった。
以来、「幻の名盤」としてファンやコレクターの垂涎の的であったそうだが、これを92年、ミディ・レーベルがCDとして復刻、一躍そのサウンドが、多くのひとの耳に届くようになった。
そのCD自体も、だいぶん前に廃盤になっており、入手困難だったのだが、先日、ある知人が、多くのつてをたどって入手、筆者にプレゼントしてくださったのである。
まさに、念願の一枚、ということであるが、実際聴いてみると、ほんとうに素晴らしい内容である。
まずはアルバムタイトル・チューンの(1)だが、日本の現代詩における代表的な詩人、谷川俊太郎の詩に彼らが曲をつけたもの。
ちょっと意味深長でエロチックな原詩に、彼らのアメリカン・フォークの王道のような、軽快なハーモニーが乗っかると、まことに新鮮。
いやらしさなどみじんもなく、健全なエロティシズムが漂う一曲である。
その息の合ったハモりもさることながら、彼らの楽器演奏がまた、実に上手い。
佐久間はもっぱらギター、大江田はフラットマンドリン、バンジョー、ギターと自在に持ち替えて演奏を聴かせてくれるが、ふたりとも当時二十歳前後だったとは信じられないくらいの、名手なのである。
その腕前をかわれて、なぎらけんいち(現・健壱)、田中研二、高田渡らのバッキングをつとめたというのも、うなずける。
(2)は彼らに多大な影響を与えた友人のシンガー、小林政広のオリジナル。
小林はこの曲以外にも何曲も、彼らにレパートリーを提供しており、彼らの信頼関係の深さがよくわかる。
小林の曲自体は、どこか身辺雑記的な、あるいは日常に対するボヤキ節みたいな内容なのだが、みょうに健康的ですがすがしい佐久間の歌声にかかると、その「生活臭」「重たさ」や「鬱陶しさ」は中和されて、明るい歌になるのが不思議である。
このへんの、二者の個性の違いについては、ライナーで小林自身が書いているのが、また面白い。
それによると、「大江田も佐久間も…歌うことをスポーツのように楽しんでいた。これは、当時からすれば、(僕の周りの状況からすれば)信じられない事だった。苦悩なくして歌は唄えない。社会風刺なくして、歌とは言えないといった、ネクラの風潮が、充満していたからだ。」とある。
つまり、林亭は、先行する世代の「音楽でイデオロギーを語ろう」という方向性とは明らかに違った、音楽そのものを純粋に楽しむ、ニュータイプの歌い手だったのである。これは、なんとも興味深いことだ。
続く(3)も、小林の作品。なにがなんだかよくわからない(笑)内容の歌詞。
ほとんどやけっぱちともいえる、青春特有の心象風景を描いた曲なのだが、林亭の威勢のいい演奏と美しいハーモニーによって、歌本来の毒気はまるで感じられない。
(3)は筆者も昔から好んで聴いていたシンガー、シバの作品ということだが、聴いてみるとなんだか雰囲気が全然違う。あれれ?
それもそのはず、歌詞はシバの手によるものだが、曲は彼らが新たにつけたものだったのである。
シバの、やさぐれた雰囲気の「ブルース」は見事、彼らによって郷愁たっぷりの「カントリー・ワルツ」に生まれかわってしまっている。
でも、これもまた佳き哉。林亭本来の個性は、むしろこちらの路線だといえるだろう。
(5)は、これも現代詩の女流、萩木のり子による詩に、大江田が曲をつけたもの。
筆者の曖昧な記憶によれば、この詩には誰か別のフォークシンガー(女性)も曲をつけていたように思う。
それくらい、当時の全共闘世代に愛読された詩だったということなのだが、大江田の曲は、女性シンガー・ヴァージョンの深く沈んだような曲調とは大きく違って、むしろ明るく力強くさえある。高田渡の「自転車にのって」に少し似ているかな。
戦争、そして敗戦によって失われた「青春」を求めて嘆くかのような女性シンガー版とは違って、「戦後、女と靴下は強くなった」といわれたような、時代の大きな「変化」を感じさせるような曲調だ。
「ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた」という一節には、新しい時代の胎動がある。
そういったニュアンスをきちんと嗅ぎ取り、ストイックなプロテスト・ソング風ではなく、享楽的なラグタイム・ジャズ風の曲作りをした彼らは、まさにフォーク界のニュータイプであったのだ。
(6)は大江田のバンジョー演奏を前面にフィーチュアした、インストゥルメンタル・ナンバー。タイトルが示すように、ユーモラスな曲調だ。
テンポを自在に変化しつつ聴かせる大江田のバンジョー、なかなかの名演奏である。
(7)も小林のオリジナル。名古屋までトラックをヒッチハイクして、愛しのGFのもとまで旅する青年のストーリー。
これは小林自身も書いているように、実体験から作られた作品のようだが、彼ら林亭が歌うと、あまり深刻な感じでなく、無邪気なイメージの曲に仕上がっている。
本当なら東京―名古屋350キロの旅は、そんなにノンキなものではないのだが、彼らの手にかかれば、ちょっと近郊から名古屋まで遊びに行ってきます、ふうの明るく軽いノリになる。
これは、楽曲本来の目指すところとは、違う着地点なのかも知れない。でも、それもまた佳き哉。
「人生、難しく考え過ぎると、よけい生き辛くなってしまうものだよ」という、そんな彼らの声が聞こえるような気がする。
そう、人生はケセラセラ、なるようになる。未来などは、わからない。
(8)は、反骨の老詩人、金子光晴の作品に佐久間が曲をつけたもの。金子は当時、友部正人ら弾き語りシンガーに支持の高かったひとである。
これが実に乾いたユーモアをかもしだしていて、秀逸な一曲に仕上がっている。
ベトナムの民話をもとに、描かれた究極の「ビンボー話」。
さるまた一丁しか財産のない、親子のストーリーをたんたんと語る佐久間の歌、大江田ののどかなバンジョー演奏が実にいい。
当時の日本のフォーク界といえば、妙に湿度の高い、「かぐや姫」みたいなものが主流だっただけに、このからっとした世界はなんとも画期的なものだったと思う。
カリフォルニアの空のような、湿り気のまるでない、つきぬけた明るさ。
「無一物」ゆえに、なにものにも拘束されることのない、若者ゆえの「自由」、そして「力」を感じさせる一曲。必聴である。
(9)もまた、青春の心象風景そのもののような、小林のオリジナル。
当然、内容は決して明るくない。彼女にふられ、御茶の水から神田橋まであてどもなく歩き、いっそここで投身自殺でもしよーかなどとうそぶく歌詞なのだから。
でも、この曲も、林亭もちまえのポジティブな個性で料理されることで、ネクラなイメージに墜ちることをまぬがれている。
「そうはいうもの、死んだらおしまいだから、まあ気をとりなおして生きていこうか」という前向きな曲になったのは、もちろん彼らの手柄である。
(10)は日本の民謡に、林亭が新たに曲をつけたもの。
既存曲の歌詞のみを使い、まったく違ったカラーのメロディをつけ直し、新しい曲としてよみがえらせる。こういう手法が、彼らはお得意だったようである。
内容は…いってみれば「春歌」なのだが、さらっと歌う佐久間のヴォーカルにじめじめとしたところはまるでなく、ここでも乾いたユーモアが感じられる。
トラッドな「春歌」を取り上げるのは、当時のフォークの流行でもあったのだが、さすが林亭、ひと味違うな~。
(11)は、アメリカの著名な詩人、ラングストン・ヒューズ(先日の「マディ・アット・ニューポート」でも歌詞を提供していたひと)の、木島始氏による訳詩に林亭が曲をつけている。
この曲も、林亭的曲作りの典型パターン、ということだ。
詩の内容は、ちょっとはすっぱな女性に仮託して、恋することの歓び、苦しみを、黒人のブルース形式ふうに歌ったもの。
こういうオトナの話、弱冠二十歳の青年たち(林亭のこと)には、とても実感的理解のできる世界ではなかったろう。
こんな詩に曲をつけたらなんて、一体誰が吹き込んだのやら、という感じだが、実体験など乏しくとも、ちゃんと歌いこなしているのが、佐久間のスゴいところだ。
まさにニュータイプ、シンガーの中川五郎がライナーで使っている表現を借りれば「アンファン・テリブル(恐るべき子供たち)」たるゆえんである。
人生経験がないと、ひとを感動させる歌などうたえない、と私たちは考えがちだが、どっこい、それは「凡才」の場合であって、天賦の才でひとを説得してしまう若い才能も、一方では存在するのだ。(美空ひばりしかり、宇多田ヒカルしかり。)
彼らの、音楽に対する感度の高さは、もう天性とよぶほかはない。
そんな恐るべき青年たちの、「ファースト&ラスト・アルバム」のラストをかざるのは、ふたたび盟友、小林政広のオリジナル。
ほかの男に持っていかれちゃった愛しい彼女への、いまだに捨てきれずにいる思慕の情を歌う、失恋ソング。
でも、彼らのことだから、暗さなんてみじんもなく、ストレートにシンプルに切ない心を歌う。まさに、アメリカのカントリー・ソングの世界そのもの。
生きていればめぐりあえるかも知れない、再び恋におちるかも知れない、そんな「生きる勇気」を与えてくれる佐久間の歌、大江田のハモりが素晴らしい。幕切れにふさわしい一曲である。
この後、彼らは何枚かのオムニバス・ライヴ盤で歌声を聴かせてくれたものの、結局次のフル・アルバムをレコーディングすることなく、誇り高きアマチュアのまま、76年の解散をむかえることになる。
大学卒業後、佐久間はそのまま業界に残り、高田渡との「ヒルトップ・ストリングス・バンド」などでプロとしての活動を続け、現在にいたっている。
一方、大江田は某大手レコード会社に就職し、20年近く勤めたのち独立し、現在ではアナログ・レコードをメインにあつかうレコードショップを経営し、買い付けのため日本とアメリカの間を往復する、忙しくも充実した日々を送っている。
ともに、生涯の友たる「音楽」をかたときも忘れることなく、毎日を暮している。なんとも、うれしいことだ。
そんな彼らの青春の記念碑、「夜だから」は、音楽をこよなく愛する筆者にとっても、生涯の愛聴盤となることだろう。