2012年10月14日(日)
#237 バディ・ホリー「Not Fade Away」(The Best Of Buddy Holly/MCA)
#237 バディ・ホリー「Not Fade Away」(The Best Of Buddy Holly/MCA)
ロックンロール草創期のスター、バディ・ホリー57年のヒット曲。チャールズ・ハーディン(ホリー自身)=ノーマン・ペティの作品。
ホリーは36年テキサス州ラボックの生まれ。56年にデッカよりレコードデビューするもヒットせず、翌年コーラルより再デビュー。「That'll Be The Day」がヒットして、人気シンガーへの道を歩み出す。
59年2月に飛行機事故のため、22歳の若さで亡くなるまで、短期間ではあったが華々しい活躍をし、ビートルズをはじめとする、後続の多くのバンドに大きな影響を与えている。
きょうの一曲「Not Fade Away」は彼の率いるバンド、クリケッツ名義でブランズウィックから57年10月にリリースされている。その頃は、ソロ名義とバンド名義とを使い分けていたのである。
まずは曲を聴いてみよう。おなじみのしゃっくり(ヒーカップ)唱法で明るく高らかに歌いあげているのが印象に残るが、それと同時にサウンドも特徴的だ。
つまりセカンド・ラインに源流をもつ、ボ・ディドリー・ビートってやつなのだ。まさに黒人音楽のリズムそのもの。
ホリーは白人なので、もちろんカントリーを聴いて育ったわけだが、エルヴィスやジェリー・リー・ルイスのような白人のロックンロール、さらには黒人のR&Bにも同様に大きな影響を受けている。
見た目は眼鏡にスーツ、いかにも都会のインテリっぽい白人青年だが、彼の音楽的嗜好は意外と黒人寄りだったりするのだ。
これはミック・ジャガーの発言だ。「レコードジャケットの写真を見るまでバディ・ホリーは黒人だと思っていた」「バディほど独創的な人はいない。ロックンロールの真の天才だ」。
つまり、ヒット曲はラジオで聴く、というのが一般的だった時代は、アーティストのビジュアルに接する前に、まず音そのものに触れるのが通例だったのである。
イギリスに住むミック少年は、まずラジオでホリーの歌声を耳にし、この人は白人なんだろうか、黒人なんだろうかと想像をめぐらし、しばらくしてホリーのレコードを見て、「えっ、白人だったの!」と驚いたのである。エルヴィスも、最初にオンエアされたときは、リスナーからはほとんど黒人だと思われていたというが、彼の唱法が、カントリーに代表される白人音楽のそれとはあまりにかけ離れていたからだろう。ホリーもまたしかり。
ホリーの見事なまでのハイブリッドなサウンド、そして野性派、肉体派のエルヴィスとはまったく違ったスマートで知的な雰囲気は、ロックンロールの新しいファン層を開拓した。それまでの「ガテン系」「不良系」な人々だけでなく、「一般ピープル系」をもまきこんだムーブメントとなっていき、それはビートルズやマージービートの諸バンドに引き継がれていく。
ところで、ローリング・ストーンズもこの「Not Fade Away」を演っていることをご存じだろうか。実は彼らのアメリカでのデビューシングルは、この曲だったのである。
ドスのきいたボーカルが売りのストーンズと、ハイトーンで歌うホリー、ちょっと意外な組み合わせだが、この曲がボ・ディドリー・サウンドであることを考えると、腑に落ちるのではないかな。
そう、雑誌ポパイのキャッチコピーじゃないけど「アメリカ大好き少年」だったミック、キース、ブライアンらにとって、ボ・ディドリー・サウンドを演奏すること自体、夢や憧れであったのだ。嬉々としてカバーしたのは、そういうわけだ。
ロックンロールという3分足らずのショーが、本国アメリカはもちろん、英国、日本など世界中の若者を魅了し、言語の違いさえも越えて、あっという間に世界標準となった。
その過程で、エルヴィスと同じくらい影響力があったのが、彼、バディ・ホリーだ。眼鏡ロッカーのはしりというだけでなく、ギター・バンドというフォーマットを定着させたのも大きな功績だ。今日、ホリーの作ったバンド・スタイルと無縁なバンドなんて、まず存在しない。
たった数年間の活動だけで、以後50年以上にわたって全世界に影響を及ぼし続けるなんて、やっぱりミックのいう通り、ホリーは天才以外のなにものでもないね。