NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#228 レイ・パーカーJr&レイディオ「Jack And Jill」(ベスト・オブ・レイ・パーカーJr/BGM JAPAN)

2023-11-15 07:32:00 | Weblog
2012年8月5日(日)

#228 レイ・パーカーJr&レイディオ「Jack And Jill」(ベスト・オブ・レイ・パーカーJr/BGM JAPAN)





レイ・パーカーJr&レイディオ、78年のデビュー・ヒット。レイ・パーカーJrの作品。

34年前のヒットだから覚えているご仁も少なかろうが、筆者は当時大学2年。人生で一番ヒマでゆとりがある時期だったので、さまざまなジャンルの音楽を貪欲に聴きあさっていた。で、当時AMといわずFMといわずものすごく頻繁にかかっていた(いまでいうところのパワープレイね)のが、この曲だったという記憶がある。

「Jack And Jill」は、彼らの初めての日本でのヒットでもあった。ただ、その頃は単に「レイディオ」というアーティスト名だった。インターネットのなかった時代、洋楽情報はきわめて少なく、白人のロックなら「ミュージックライフ」という雑誌が詳しい情報を提供してくれていたが、ブラックミュージックについてはほとんど取り上げてくれない。誰がこの曲のリードボーカルかということさえ、皆目わからなかったのだ。

その後、レイディオは解散、リーダーだったレイ・パーカーJrがソロとして再デビュー、「A Woman Needs Love」「The Other Woman」などのヒットを出して、筆者もようやくその名を知ることとなったのだ。

レイ・パーカーJrについて調べてみると、55年ミシガン州デトロイトの生まれ。12歳でギターを始めた、というあたりはごく平均的なのだが、早熟の天才タイプだったようでたちまち上達、翌年13歳で黒人グループ、スピナーズに参加、スティービー・ワンダー、グラディス・ナイト、テンプテーションズのバックを経て、15歳でインヴィクタス/ホットワックスレーベルの専属ギタリストになってしまう。文句なしにスゴい人なのだ。

以後は売れっ子セッション・ギタリストとしてアレサ・フランクリン、ビル・ウィザーズ、ボビー・ウーマックらのバックをつとめる一方、ソングライターとしてバリー・ホワイト、ナンシー・ウィルスン、ルーファスらに楽曲を提供している。

フツーはそのまま進めば、辣腕プロデューサーとして音楽界に君臨、って方向にいきそうだが、この人、本質的に自分自身が目立ちたい人のようで、22歳の頃くだんのレイディオを結成、自ら歌い始めるんである。

まあその歌は、ものすごくうまいってレベルではなく、いいとこプロの歌手として及第点ってところなのだが、彼の真の面目は、そのサウンド作りのセンスにこそあるといえよう。

もともとスタジオ・プレイヤー出身だっただけに、アレンジ、ミキシングなどはお手のもの、トータルバランスのとれた音作りが出来る才能の持ち主なのだ。

歌はまあご愛嬌って程度でも、そのサウンドはきわめてダンサブルでグルーヴ感にあふれている。これがレイ・パーカーJrの魅力。

もっとも、ご本人のほうは、どうもその世間的な評価とは違う自己認識をしているみたいで、「オレってイケてる?セクシー?」みたいなアピールをしきりにやってみたり、かと思うと「ゴーストバスターズ」みたいなおちゃらけた方向に走ってみたりで、やや迷走気味なのが残念。

先年、クルセイダーズが来日した際に、そのサポート・メンバーとして参加していた彼の演奏を観る機会があったのだが、生真面目に演奏していたかと思えば、回りにのせられるとついついお調子者になってしまう、みたいな「ちょっとおかしな人」だった。残念ながら、どう逆立ちしても「セクシーなスーパー・スター」にはなりえないね、彼は(笑)。

でも、演奏者、作曲家、アレンジャーとしては超一級だと思う。この弱冠はたちそこそこで作った「Jack And Jill」もハンパない完成度で、さすが早熟の天才だと感服。円熟味さえ感じさせる、レイディオ・ワールドを堪能してみて。

音曲日誌「一日一曲」#227 ローリング・ストーンズ「Ain't Too Proud To Beg」(It's Only Rock 'N Roll/Rolling Stones Records)

2023-11-14 05:00:00 | Weblog
2012年7月29日(日)

#227 ローリング・ストーンズ「Ain't Too Proud To Beg」(It's Only Rock 'N Roll/Rolling Stones Records)





ローリング・ストーンズ、74年のアルバムより。ノーマン・ホイットフィールド、エディ・ホーランドの作品。

今年結成50周年を迎えた、ストーンズ。ミック69歳、キース68歳、ロニー65歳、チャーリー71歳。平均年齢、実に68歳超ながらもますます意気盛ん、最長命のトップ・バンドとしての記録を更新中である。

そんな彼らの、一番脂が乗り切っていた時代のレコーディング(ロニーは未参加だが)。

曲はといえば、60年代に一世を風靡した黒人ボーカルグループ・テンプテーションズの大ヒット曲。プロデューサーが名チームとの誉れ高いHDH(ホーランド=ドジャー=ホーランド)から、ノーマン・ホイットフィールドにバトンタッチされてからの作品。ただし、作詞はエディ・ホーランドが残留して担当している。

ストーンズの演奏スタイルについて、いまさらあれこれ語るのも野暮というもんだろう。とにかく、「ストーンズ流」を何十年も貫き通している。60年代の末にギターがブライアン・ジョーンズからミック・テイラーに交代したあたりでサウンドがほぼ完成、以降は若干時代のテイストを加味しながらも、基本的な線はあくまでも墨守するという流儀が続いているのだ。

そしてなにより変わらないのが、ミック・ジャガーのボーカル。特徴あるダミ声はそのまま、特に技術的に向上したという印象はないが、それでも彼の存在感は、他のすべてのロッカーたちを軽く凌駕している。ストーンズは、やはり、ミック不在ではストーンズと呼べまい。

「Ain't Too Proud To Beg」もまた、典型的な「ストーンズ節」のひとつだ。スタジオ録音のデッドな感じが、オリジナルのテンプテーションズの立体的なサウンドとは対照的で、音響に奥行きはないかわりに、すぐそばでストーンズで演奏してくれている感じ。

この曲のキーポイントは、やはり前面にフィーチャーされているピアノだろうな。演奏しているのは、6人目のストーンズことイアン・スチュアートではなく、5人目のビートルズこと、ビリー・プレストン。彼の叩き出すタイトなリズムなしでは、この曲はしまりがなくなったに違いない。

この曲ではギターリフやソロに頼ることなく、ひたすらミックのボーカルと、バックのコーラスでまとめている。このコーラスにしても、テンプスのプロフェッショナルらしく洗練されたそれとはだいぶん趣きが違って、いかにもラフな仕上がりなのだが、そこがまさにストーンズ流なのだ。

モータウン発の都会的な楽曲も、ストーンズがアレンジすれば、むしろ南部風の、泥臭いながらも懐かしさを感じさせるナンバーに一変する。

これぞストーンズ・マジックであり、変わらぬ魅力のみなもとだと思うね。

どのくらい違っているかを知るために、オリジナル版も加えてみた。ぜひ、じっくりと聴き比べてみて。



音曲日誌「一日一曲」#226 マイティ・ジョー・ヤング「Bring It On」(Mighty Man/Blind Pig)

2023-11-13 05:46:00 | Weblog
2012年7月22日(日)

#226 マイティ・ジョー・ヤング「Bring It On」(Mighty Man/Blind Pig)





ベテラン黒人ブルースマン、マイティ・ジョー・ヤングのラスト・アルバム('97)より。ヤングの作品。

マイティ・ジョー・ヤングは27年ルイジアナ州シュリーブポート生まれ。その後ウィスコンシン州ミルウォーキーからブルースの本場シカゴに移り、ハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュ、マジック・サムらのバック・ミュージシャンとして活動する一方、60年代は地道にソロ・シングルをリリースしていた。

71年にようやくデルマークからアルバム・デビュー。派手な人気こそ出なかったが、実力派シンガー/ギタリストとして注目されるようになる。

70年代にいくつかのレーベルから、6枚のアルバムを出したが、80年代にはなかなか後続作品が出せず、86年、神経の病気の手術後、ギターが弾けなくなってしまう。

90年に過去のライブ音源からのアルバム、そして97年にラスト・アルバムを出し、99年にこの世を去ってしまうのだが、ギターが弾けない体になってもなお、10年以上かけてこのアルバムを完成させたというのだから、ヤングの音楽にかける情熱はハンパではない。まさに命をかけた遺作。

アルバムには10曲が収録されているが、うち3曲は手術前の録音であり、ヤング自身のギター・プレイも聴ける。残りのトラックは、ウィル・コスビーというギタリストが演奏している。

きょうの一曲「Bring It On」は、手術前のライブ音源から。彼の歌とギターの魅力を余すことなく伝えているナンバーだ。

曲はステロタイプなスロー・バラード。どこかで聴いたことがあるメロディ・ライン、あるいは歌詞なのだが、とにかく彼の歌が圧巻なのだ。

録音された時期は、おそらく彼の50代後半だろうが、30年以上のプロとしてのキャリアが、その力強く、それでいて円みのある歌声に詰まっている。

男の孤独、哀感、憂愁。そういったものを、すべて感じさせてくれる、見事な歌唱なのだ。

ギターソロのほうは、ほんのワンコーラスなのだが、これまた琴線に触れる泣きの連続で、いうことなし。

特に目先の変わったこと、難しいことをやっているわけでない。でも、オーソドックスなスタイルの中にこそ、至高のものがあるのだと、彼の歌や演奏を聴いて感じる。

この良さ、子供にゃあわかるめぇと、ついつい思ってしまうのだが、いやいやむしろ、若い衆にこそ、味わってほしいのだよ。時間をかけて熟成させた本物の美酒が、そこにはあるのだ。

音曲日誌「一日一曲」#225 バークレイ・ジェームズ・ハーヴェスト「Thank You」(Baby James Harvest/Harvest)

2023-11-12 06:06:00 | Weblog
2012年7月16日(月)

#225 バークレイ・ジェームズ・ハーヴェスト「Thank You」(Baby James Harvest/Harvest)





英国のロックバンド、バークレイ・ジェームズ・ハーヴェストの4thアルバム(72)より。結成以来のメンバーのひとり、ジョン・リーズ(g,vo)の作品。

バークレイ・ジェームズ・ハーヴェスト(以下BJHと略)は66年ランカシャー州オールダムで結成、紆余曲折を経て現在に至るまで活動を続けている、非常に息の長いバンドだ。

BJHのサウンドはこれまで「プログレ(ッシブ・ロック)」と呼ばれることが多かったが、曲によっては必ずしもそういう括りには当てはまらないものもあって、ジャンル分けすること自体、無意味な気がする。しいていえば、フォーク・ロック的な味わいの曲が多いと思う。

ボーカル・スタイルは、素朴で(よく「牧歌的」と称されている)強い個性、パワーには欠けるものの、聴きやすい素直な歌声だと思う。

どちらかといえば、ストリングスやメロトロンなどのキーボードをフィーチャーした、クラシック音楽と融合したような繊細なサウンドで知られているBJHにしては、わりと「ロックしている」のが、きょうの一曲。

印象的なイントロ、そして熱いギター・リフからはじまる「Thank You」は、メロディラインがわりと硬派で黒っぽい。よくスクウィーズするギター・ソロが前面にフィーチャーされており、それを非常に巧みなピアノがバックアップしている。BJHの、ロックンロール・バンドとしての本質を見せつけてくれるのだ。

曲としては、いわゆる「オチ」のような部分がなく、エンドレスで演奏が続いていく。4分半足らずなので、ちょっと短い感じはあるが、リーズのギター・ソロの出来のよさが、それを十分補っている。

ビートルズ的なメロディセンスのよさ、10CCのような高度のサウンド構成力を兼ね備えた彼らは、もっと評価されてしかるべきだと思うのだが、ほとんどヒットらしいヒットを出すことなく、いまだに地味な存在のままである。

でも、このアルバムはポップな要素と音楽性の高さが両立した、良作だと思う。40年たとうが、一聴に値すると思う。

躍動感に溢れた音楽、それがロックンロール。BJHもまたすぐれたロックンロール・バンドであることが、この一曲でよくわかる。


音曲日誌「一日一曲」#224 アレサ・フランクリン「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」(Lady Soul/Atlantic)

2023-11-11 05:20:00 | Weblog
2012年7月8日(日)

#224 アレサ・フランクリン「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」(Lady Soul/Atlantic)






アレサ・フランクリン、67年のヒット。キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、ジェリー・ウェクスラーの作品。

クイーン・オブ・ソウル、アレサ(原音主義でアリサと書くむきもありが、ここは一般的な表記でいく)・フランクリンについては、あれこれ書き出したらキリがないので、ここはまず曲について。

キャロル・キングはソロ・デビュー(正確には再々デビューだが)以前の60年代、夫のジェリー・ゴフィンとのコンビで、主に黒人アーティストたちに「ロコモーション」「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」「アップ・オン・ザ・ルーフ」といったヒット曲を提供していたが、この「ナチュラル・ウーマン」もそのひとつ。

内容的には、それまでの楽天主義的なヒット曲群とはちょっと違っていて、より内省的で、人生や恋について深く考える歌になっている。

ひとりの男性と知り合い、恋をすることで、それまでとは違った、もっと自然体の自分にうまれ変わっていく、そういう「再生」のうたなのである。

当時、キングとゲフィンは夫婦としては末期を迎えており、翌年には正式に離婚することになるのであるが、そんな時期にも、これだけの素晴らしい歌を共作したというのは、驚くべきことではないかな。

そして、この良曲がさらに「名曲」とまで賞賛されるようになったのは、もちろん、アレサの歌唱力以外のなにものでもない。

アレサは当時25才。10代から結婚していたが、その夫兼マネージャー、テッド・ホワイトは彼女に暴力をふるうことも辞さない男。けっして幸福な実生活を送っていたとはいえなかった(のちに離婚)。そんな彼女自身の事情もあいまってか、「ナチュラル・ウーマン」は、深いニュアンスをもつ曲に仕上がったといえる。

歌手としては大ヒットを飛ばし、私生活も絶好調、一点の翳りもない人生を送ってま~す、みたいな女性には歌えない、いや歌ったとしても非常に薄っぺらく聴こえてしまう、そんな曲なのである。

のちに、作者のキング自身も、有名なアルバム「つづれおり」のラストでこの曲を歌っているが、キング自身の人生経験も、この歌に強い魅力、輝きを与えているように感じる。

不幸な結婚、そして離婚という人生の悲劇を通して、よりしなやかでしたたかな自分を獲得していった、才能ある女性たち。

ありきたりな、ハッピー・エンドの歌にはない、リアルな人生を、この「ナチュラル・ウーマン」に感じとってほしい。

アレサの94年、当時の大統領夫妻を前に披露したライブも、あわせて観てほしい。20代の高いテンションの歌声も見事だが、50代の、少し抑え気味ながらじわじわと情感を高めていくような歌声も、それ以上に素晴らしい。

歳月を経て、より高いステージへと常に進化していくアレサ。けっしてひと所には、とどまってはいないのだ。

「誰もアレサに追いつくことはできない」。あなたもそう思うにちがいない。

音曲日誌「一日一曲」#223 デュラン・デュラン「Thank You」(Thank You/EMI)

2023-11-10 05:00:00 | Weblog
2012年7月1日(日)

#223 デュラン・デュラン「Thank You」(Thank You/EMI)





デュラン・デュランによるレッド・ツェッぺリンのカバー・ナンバー。95年リリース。ロバート・プラント、ジミー・ペイジの作品。

デュラン・デュランは英国バーミンガムでニック・ローズ(kb)を中心に結成されたロック・バンド。81年にメジャー・デビュー。何度かの休止期を経つつも、現在もなお、トップ・バンドとして活躍している。

デビュー間もない80年代の彼らの人気といったら、ホントにすさまじまかった。出す曲、出すアルバムがすべてチャートイン、ビジュアルのよさもあってMTVの常連的存在でもあった。女性ファンの多さゆえに、彼らを80年代のビートルズに喩えるむきも多かった。

しかし、88年あたりを境に、しばらく表舞台から遠ざかるようになる。チャートインもピタッと途絶えてしまう。

そして約5年のブランクを経て93年、「ザ・ウェディング・アルバム」で復活、その中の2曲をヒットさせて、健在ぶりを示したのである。

きょうの一曲は、そんな「第二次黄金時代」に入った彼らの第二作、全編カバーという思い切った試みのアルバムからのタイトル・チュ-ン。

ご存じZEPのセカンド・アルバムのA面4曲目。ゆったりしたテンポのバラード・ナンバーだ。

この曲を特に気に入っていてレコーディングを提案したのは、ギターのウォーレン・ククルロ。リード・ボーカルのサイモン・ル・ボンは、ロバート・プラントとはだいぶん個性が異なる歌い手だが、難曲を見事自分のものにして、ZEPとはひと味違った世界を作り出している。

アレンジもZEPのオリジナル版をお手本にしながらも、楽器の選び方、レコーディング技術などに彼らなりの工夫を凝らして聴きごたえあるサウンドに仕上げている。

なお、この「Thank You」は、同年リリースのZEPトリビュート・アルバム「ENCOMIUM」にも収められたが、そちらではキーボード・アレンジを変えるなどしたショート・バージョンになっている。

音がより洗練されているのは、ショートバージョンのほうかな。こちらも、聴きくらべてみて欲しい。

かねがね思っていることだが、デュラン・デュランというバンドに対する評価は、彼らの実力に比べてだいぶん過小なものではないかという気がする。

初期の彼らはえてして「イケメン・バンド」という評価にとどまりがちだった。まるでビートルズの初期のように。婦女子が好む、ルックスしか取り柄のないバンド、男性リスナーにおいてはそういう扱いだった。

しかし、ビートルズが後に音楽性で頭角をあらわし、リスナーの支持を広げていったように、デュラン・デュランもただのアイドル・グループでは終わらなかった。

バンド結成10年を機に、日々のプロモーション活動に追われる状態からいったん降りて、5年ほど充電し、さまざまなアイデアをまとめて、新たなる局面(ステージ)へとむかっていったのだ。

アルバム「Thank You」を聴くと、彼らがいかにスライ&ファミリーストーン、パブリック・エナミーといったブラック・ミュージシャンの影響を受けているかが、よくわかる。

ブラック・ミュージックのビート、グルーヴ抜きでは、デュラン・デュランは語れない。

そういう意味でも、彼らはビートルズというよりはむしろ、レッド・ツェッぺリンに連なるバンドであるというべきだ。

きょうの一曲も、まさにそういう流れを証明する、トリビュート。

デュラン・デュランというバンドの懐の深さを、感じとってほしい。

音曲日誌「一日一曲」#222 ボックス・トップス「The Letter」(Best of the Box Tops/Arista)

2023-11-09 05:05:00 | Weblog
2012年6月24日(日)

#222 ボックス・トップス「The Letter」(Best of the Box Tops/Arista)





ボックス・トップスはメンフィス出身のアレックス・チルトン(vo,g)を中心とした5人組バンド。67年にこの「The Letter(あの娘のレター)」で全米チャート1位に輝いたが、そのときチルトンはなんと16歳。スティーブ・ウィンウッドも顔負けの早熟ぶりであるね。

このシブ~い塩辛声の持ち主がミドルティーンだったなんて、とても信じ難いよな(笑)。

ボックス・トップスはその後、何曲かヒットを出して、70年に解散。チルトンは70年代にはビッグ・スターという新たなバンドで活躍。その解散後、79年よりソロで活動するも、時代の流れに乗れず、一時はプロを辞めていたようだ。

80年代にはチルトンの音楽がR.E.M.などの後輩ミュージシャンたちの後押しもあって再評価され、93年にビッグ・スターを再結成して活動していたのだが、さしたるヒットもなく、2010年、59歳の若さで亡くなってしまった。

若いうちに究極の栄光をつかんでしまったチルトン。ひじょうに残念な後半生を送ったわけだが、その音楽の素晴らしさは、この空前のヒット曲がいまだに流れているということで、十分わかるだろう。

メロディラインのセンスのよさ、ことに転調してからのサビのカッコよさといったらないと思う。

これをあのハスキー・ボイスで歌えば、そりゃあヒットして当然ってものだ。

この曲はその後、ジョー・コッカーがカバーして再度ヒットしている。コッカーは、原曲通りのメロディラインで歌わず、かなりフェイクしているが、レオン・ラッセルのすぐれたバックアップのおかげもあって、またひと味違う佳曲に仕上がっている。

ブルース、R&B、カントリーなど、アメリカ南部音楽のエッセンスを詰め込んだ、ボックス・トップスのサウンドは、やはりチルトンのコンポーザー、シンガーとしての才能によるところ大だ。ジョン・フォガティ、レオン・ラッセルにも匹敵する偉大なシンガー/ソングライター。知らない人もぜひ、聴いてみてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#221 ビッグ・ジョー・ターナー「The Night Time Is the Right Time」(Jewel Spotlights The Blues/Jewel)

2023-11-08 05:00:00 | Weblog
2012年6月17日(日)

#221 ビッグ・ジョー・ターナー「The Night Time Is the Right Time」(Jewel Spotlights The Blues, Vol.1/Jewel Records)





ブルース・シャウター、ビッグ・ジョー・ターナー。2009年1月以来、ひさしぶりの登場である。

ナッピー・ブラウンにより戦後ヒットした「The Night Time Is the Right Time」のカバー。もともとはトラディショナルだったが、ルーズヴェルト・サイクスによって37年に初めてレコーディングされ、その後、サイクスやビッグ・ビル・ブルーンジーによって歌詞が改められていった。これにコール&レスポンスのゴスペル風味付けをして、個性を打ち出したのが、ブラウンだった。

ブラウン版は57年に録音されたのだが、この曲の強い魅力にいちはやく目をつけたのが、レイ・チャールズ。さっそく翌年にはカバーして、ご本家を上回るヒットを打ち立ててしまった。以来、ルーファス&カーラ・トーマス、ジェイムズ・ブラウン、アニマルズ、ルル、ティナ・ターナー、CCR、ローリング・ストーンズといったさまざまなアーティストによって歌われ、ポップ・スタンダードとなっている。

そんな名曲をベテラン、ビッグ・ジョー・ターナーは60年代にジュエル・レコードで録音している。

迫力満点のブラス・セクションの演奏を向こうに回し、おなじみのハリのある歌声を聴かせてくれるのだが、当時ターナーは50代なかばあたり。

すでにジャンプ・ブルース、ロックンロールのヒット・メーカーとして確たる地位を築いていたターナーが、初心にかえって若者のようにブルース&ゴスペルを熱く歌う。これが実にカッコええ。

その並々ならぬ気合いに圧倒される一曲。音の奔流にまみれてくれ。


音曲日誌「一日一曲」#220 ザ・モップス「朝まで待てない」(サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン/ビクターエンタテインメント)

2023-11-07 05:40:00 | Weblog
2012年6月9日(土)

#220 ザ・モップス「朝まで待てない」(サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン/ビクターエンタテインメント)




 

後期グループサウンズ、そして日本の本格的ロック・バンドの先駆け、ザ・モップスのデビュー・シングル曲。67年リリース。阿久悠、村井邦彦の作品。

筆者の意識に「ザ・モップス」というバンド名が刻まれるようになったのは、71年の「御意見無用(ええじゃないか)」あたりからだが、彼らはそれより4年も前にプロデビューしていたのだ。

デビュー当初はギター2人の5人編成。彼らが所属するホリプロ社長・堀威夫氏のアイデアで「日本最初のサイケデリック・サウンド」を標榜し、当時他のグループサウンズのほとんどがミリタリー調などの制服をコスチュームにしていた中で、各人バラバラのヒッピー、フーテン風の衣装を着ていたのだから、先進的にもほどがあった。明らかに他のGSとは、一線を画した存在だったのだ。

サウンドも玄人好みのロックやR&B、ルックスも可愛いとかイケメンとかいうよりはややヨゴレ系、コワモテ系ということで、婦女子の人気はイマイチ、しばらくはヒットにも恵まれなかった。でも音にうるさい男性ファンの支持は根強く、70年前後の「ミュージック・ライフ」(洋楽中心のポピュラー音楽誌)では、日本のバンド部門の人気投票において、ゴールデン・カップスと人気を二分する存在だった。

そんな彼らのデビュー曲は、後に超売れっ子作詞家となる阿久悠の、デビュー作でもあった。

作曲は、学生ミュージシャン出身の村井邦彦が担当。後には作曲家としてだけでなく、名プロデューサーとして数多くのアーティスト(ユーミン、YMOなど)を世に送り出した村井も、まだ駆け出しの時代である。バンドも新人、ライター陣も新人、ということで、きわめてフレッシュな顔ぶれによる、新しい時代の音楽がそこに生まれていた。

このデビュー曲「朝まで待てない」は、後に4人編成で再録音されており、ベスト盤によって一般的にはその音源のほうがよく知られている。だから、このオリジナル録音を聴いたことがあるひとはほとんどいないんじゃないかな。

両者を比較してみると、オリジナルはいかにも67年という感じで、リズムがだいぶんモタって聴こえるが、まあこれは当時の標準ってところだろう。ストーンズだって、67年当時にはこのレベルの演奏しかしてなかったし。

星勝のファズまみれのギターも、当時を感じさせて、懐かしいの一言。たしかに「サイケ」ではある。

その一方で、歌のほうはあまり変化していない気もする。オリジナルでは、鈴木ヒロミツ&星勝のツイン・ボーカルスタイル、再録音版ではヒロミツのソロ+コーラスという違いはあれど、共にその男臭さ、野太さはハンパじゃない。歌詞だってそうだ。ここにあるのは、青春のもどかしさ、悶々とした感情、つまり「欲望」そのものであって、ヘンにリファインされ、牙を抜かれた「恋心」ではない。男の自称や恋人の呼び名も「僕」と「きみorあなた」ではなく、「俺」と「お前」なのである。一般的なGSの、奇妙なまでに性的なものを排除した演出とは、対極にあるといってよい。

これじゃあ、ロマンティックしたい婦女子どもにはドン引きされるよな(笑)。

しかし、だからこそ、オトコどもには絶大な支持があった。虚構で塗りかためたような「蝶よ花よ」のGSワールドにはない、たしかな手応えが、モップスの音楽にはあったのだ。

彼らが目標としたバンド、アニマルズやゼムにもけっしてひけを取らないパッションを、67年の演奏に聴きとってもらいたい。モップスは、デビュー時からロックとは何かを掴んでいた、レアなバンドだったことがわかる。本物の音は何十年たとうが、まったく色あせないね

音曲日誌「一日一曲」#219 エルヴィス・プレスリー「My Boy」(Good Times/RCA)

2023-11-06 05:05:00 | Weblog
2012年5月27日(日)

#219 エルヴィス・プレスリー「My Boy」(Good Times/RCA)





エルヴィス・プレスリー、1974年のヒット・シングル曲。クロード・フランソワ、ジャン=ピエール・ブーテールの作品。

先週の当コーナーをお読みになったかたなら、すぐお気づきだろう。そう、この曲もフランソワの作品を、プレスリーがカバーしているのである。

歌詞の内容は、妻と離婚のやむなきにいたったひとりの男が、何も知らずにすやすやと眠っている、幼いわが息子への思いを切々と語ったもの。

この曲をリリースした当時、プレスリー自身も妻プリシラとの離婚に直面していたこともあってか、歌詞をプレスリー自身の体験談かと思っていたファンも少なからずいたようだが、もともと原曲自体がそういう内容で、英語詞もそれをほぼ忠実に訳したものなのだ。念のため。

とはいえ、家庭内の問題で悩んでいたプレスリーにとって、大いに共感すべきところがあり、それがこの曲をカバーする動機のひとつになったと十分想像できるね。

プレスリーという人はレコーディング曲数がきわだって多く、オリジナル同様カバー曲も膨大で、それもアメリカ国内に限らず、シャンソン、カンツォーネなどヨーロッパ系のポップスもよく取り上げており、クロード・フランソワもまた、プレスリーのフェイバリット・シンガーのひとりだった。

「マイ・ウェイ」に次ぐフランソワ・カバー第2弾であるこの曲は、プレスリーの朗々たる歌声にいかにもふさわしい、本格派バラード・ナンバー。

原曲のわが息子を気遣う父親の心情は、プレスリー自身の心情(彼の場合は息子でなく娘だったが)とシンクロして、聴く者の心をも強くゆり動かす。まさに一編のドラマだ。

筆者的には、いわゆる「落ち」がなく、エンドレスで続いていく曲構成が、いかにもシャンソン~フレンチ・ポップスっぽいなぁと思う。

フランソワのドラマチックなメロディ・ライン、プレスリーの圧倒的な歌唱力があいまって生み出された至高の名曲。あまり知られてないけど、一度は聴いてみてほしい。

音曲日誌「一日一曲」#218 クロード・フランソワ「Comme d'habitude」(Best of Claude Francois/WEA)

2023-11-05 05:37:00 | Weblog
2012年5月20日(日)

#218 クロード・フランソワ「Comme d'habitude」(Best of Claude Francois/WEA)





フレンチ・ポップスのスター歌手、クロード・フランソワの代表曲。フランソワ、ジャン・ルナール、ジル・ティボーの作品。

クロード・フランソワは、日本では知名度がきわめて低いが、本国フランスでは60年代、ジョニー・アリディとならぶスーパースターだった。

「フランスのエルヴィス・プレスリー」ともよばれた肉体派ロッカーのアリディとは対照的に、ブロンド、小柄で華奢、お洒落な雰囲気をもっていたのがフランソワ。ショッキングピンクのジャケットを着こなせる男性歌手など、めったにいないだろ?

その彼の、人生最大のヒット作が、この「Comme d'habitude(いつものように)」だ。

まずは一聴願おう。誰もがすぐにこの曲の「正体」がわかるはず。

そう、フランク・シナトラをはじめとする有名歌手がこぞってレパートリーとした「マイ・ウェイ」、その曲なんである。

ポピュラー史上もっとも多くカバーされた曲ともいわれるが、代表的なところでは、シナトラ以下、英語詞を書いたポール・アンカ、プレスリー、布施明といったところがすぐに思い浮かぶ。変わりダネではセックス・ピストルズのシド・ヴィシャス、デフ・テックなんてのもある。

原曲は60年代後半に書かれたが、オリジナルの歌詞は「マイ・ウェイ」の、人生の節目に自分の来し方行く末を思い感慨にふけるといったドラマティックな内容ではなかった。どちらかといえば日常を題材とした小品。ただし、その内容はフランス的なエスプリを効かせてある。

彼の歌う映像を観れば、衣装、身振り等で、そのニュアンスはわかるのでないかな。

ただ、その歌詞内容のままにしておくにはもったいないくらいの、壮大な「ドラマ」を感じさせるメロディに、ポール・アンカが大いに触発され、新たな歌詞でまったく別の世界を作り上げた。

それくらいこの曲は、ほぼ完璧といっていいくらい、緻密に構成されている。とりわけ、サビの完成度において、おそらく、全ポップス曲のベスト5に入るといって、過言ではない。のちに小坂明子の「あなた」をはじめとする亜流を数限りなく生み出した「お手本」だった。

二十世紀を代表する二大歌手、シナトラとプレスリーがともにレパートリーとしていたのは、故なきことではないのだ。

すぐれたシンガーは、どの曲が多くの人の心を動かすことのできる「名曲」であるかを、本能的によく知っている。まさにそういうケースだと思う。

そしてそのフォローの対象となったフランソワもまた、すばらしい作曲家でありシンガーであった。

男性にしては少し高めで中性的な声が魅力のフランソワ。他のカバー・アーティストの誰とも異なる、繊細でしかも心をゆさぶる歌声を、とくと味わってほしい。

音曲日誌「一日一曲」#217 ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」(ズー・ニー・ヴー ゴールデン☆ベスト/日本コロムビア)

2023-11-04 05:15:00 | Weblog
2012年6月3日(日)

#217 ズー・ニー・ヴー「ひとりの悲しみ」(ズー・ニー・ヴー ゴールデン☆ベスト/日本コロムビア)




日本のグループサウンズのひとつ、ズー・ニー・ヴーのシングル曲。70年リリース。阿久悠、筒美京平の作品。

ズー・ニー・ヴーはもともと「キャッスル&ゲイツ」という学生フォーク・グループにいた町田義人(ボーカル)と上地健一(ボーカル、パーカッション)がそこを68年に脱退して、新たに結成した6人組バンド。

同年、アルバム「ズー・ニー・ヴーの世界 R&Bベスト・ヒット」、シングル「水夫のなげき」でデビュー。翌年のセカンド・シングル「涙のオルガン」のB面「白いサンゴ礁」がスマッシュ・ヒットとなり、一躍名前を知られるようになる。

しかしその後は目立ったヒットが出せず、町田が70年に脱退した後も新たなボーカルを加えて活動するが、あえなく71年に解散となってしまう。その後町田はソロシンガーとなり、しばらく低迷を続けたが、78年の「戦士の休息」のヒットでようやく日の目を見ることになったのは、皆さんもご存じではないかな。

ズー・ニー・ヴーのバンドとしての特徴は、リードボーカルに絡む高音のハミングコーラス、ギターよりもむしろオルガンなどのキーボードをフィーチャーした、R&B系のサウンドにあったと筆者は思う。

で、きょうの一曲だが、オルガンによるイントロを聴けばどなたも、瞬時に「あぁ~、あの曲かっ!!」と手を打つに違いない。

そう、71年春に大ヒット、ミリオンセラー目前までいった尾崎紀世彦のナンバー「また逢う日まで」そのものなのである。つまり、この「ひとりの悲しみ」がオリジナル。タイトルと歌詞の大半を変えて、「また逢う日まで」として生まれ変わったのだ。

オルガンをホーンにかえただけで、基本的にアレンジまで同じこの二曲、チャートではどうしてこうも明暗が生まれてしまったのだろうか。

町田の歌唱力は、尾崎のそれと比べてけっして遜色があるとはいえないと思う。ともにかなりの実力派だ。

となると、やはり、二曲の一番の相違点である、タイトルと歌詞の違いによるものという気がする。

二曲ともテーマは共通して「同棲していた恋人との別れ」であるにもかかわらず、「ひとりの悲しみ」という曲名がいかにもネガティブな印象を与えるのに対し、「また逢う日まで」は、いつかはわからないけれど、いつの日にか二人は再会するであろうことを前提にしていて、どこかポジティブさ、つまり「希望」を感じさせる。

起きた出来事はまったく一緒なのに、前者は「今生の別れ」のように見えるし、後者は「再び逢えばまた愛し合うかもしれない」可能性を十分残している。

このニュアンスの違いが、曲に対するイメージをほぼ180度変え、ヒットの有無にもつながったのではなかろうか。

そういえば以前、「Fly Me To The Moon」や「Blue Moon」を取り上げたとき、タイトルや歌詞を変えたことによって、最初はまったくヒットしなかった曲が信じられないほど売れた例を見てきた。

「ひとりの悲しみ」と「また逢う日まで」のケースもまた、そういうことだと思う。

タイトルや歌詞(ことに冒頭の一節)は、曲の「つかみ」としてホントに重要なんだなと思う。

そして、どんな曲も最初っから完璧なかたちで生まれてくるわけではない。改題・詞の改作等を経て初めてヒットに至るパターンも、意外とあるのだ。

もしズー・ニー・ヴーが「また逢う日まで」のかたちとなった曲をそのままもらって、世に問うて大ヒットになっていれば、彼らのバンドとしての生命は、もっと長かったかもしれない。

そして、もしそういうことになり、「また逢う日まで」を自分のレパートリーとしてもらうことがなかったならば、尾崎紀世彦は歌手としてまったく名を残せなかったかもしれない。

そういうふうに考えていくと、まことに感慨深いものがある。この一曲はまさに、人生の明暗をわけた一曲なんだという気がする。

最後に、先日肝臓がんで亡くなられた尾崎紀世彦さんの、ご冥福をお祈りいたします。日本人らしからぬダイナミックな歌声は、当時かけだしの歌い手であったワタシにとっても、大きな憧れの対象でした。合掌。

音曲日誌「一日一曲」#216 ジョニー・リヴァース「Secret Agent Man」(Secret Agent Man//Shout!)

2023-11-03 05:30:00 | Weblog
2012年5月13日(日)

#216 ジョニー・リヴァース「Secret Agent Man」(Secret Agent Man: The Ultimate Johnny Rivers Anthology/Shout!)





白人シンガー、ジョニー・リヴァース、66年のヒット曲。スティーブ・バリ=P・F・スローンの作品。

ジョニー・リヴァースは1942年、ニューヨーク生まれの69才。

60年代にめざましい活躍をし、ポップス史にその名を残している彼も、プロとしての最初の成功は、ソングライターとしてのそれだった。61年、当時人気の白人シンガー、リック(リッキー)・ネルスンに楽曲を提供して注目されたのだ。その後、シンガーとしても頭角をあらわし、大型ライブハウスの先駆け、ハリウッドの「ウィスキー・ア・ゴーゴー」の看板シンガーとしてデビュー、そのライブ盤よりシングルカットされたチャック・ベリーのカバー「メンフィス」は全米2位の大ヒットとなった。

日本でも60年代けっこう人気があったのを、当時小学生だった筆者もよく覚えている。

本格派ロックとはちょっと違うのだが、軽く明るくダンサブルな彼のロックンロールは、ゴーゴーダンスの世界的大流行とともに広まった。

先週も少しふれたことだが、ビートルズがアメリカを完全制覇する65年頃より少し前に、全米的なスターとなったのである。で、セダカやアンカらとは違い、彼の場合は、ロックンロール、R&B、カントリーをカバーする音楽的指向性がビートルズと近いことが幸いしてか、むしろ人気を伸ばしていった。

彼のボーカル&ギター、ベース、ドラムスというきわめてシンプルな編成ながら、ノリのよさは超一流。「トゥイスト&シャウト」と「ラ・バンバ」をメドレーで演奏するなど、ステージでは天性のエンタテイナーぶりを発揮して、見事に時流に乗ったのである。

70年代には人気もやや下降してしまったものの、その後もマイペースな音楽活動を続け、現在に至っている。

とにかく彼の魅力は、ライブだ。生のステージだ。スタジオ録音よりもライブ盤のほうが、ずっといい。

きょうの一曲、邦題「秘密諜報員」もライブから。ギリギリまで音を削ったシンプルなバック・サウンドゆえに、彼の独特の節回しがはっきりと浮かび上がってくる。ブラック・ミュージックに強く影響を受けながらもけっして同化しない、白人ならではのロックンロールを聴くことが出来る。

ロック史上ではさほど評価されてはいないリヴァース。でも、ビートルズがライブ盤を残すことができなかった時代に、ライブ盤でデビューヒットをキメた彼の先駆者としての功績は、もっと評価されていいんじゃないかな。

音曲日誌「一日一曲」#215 ニール・セダカ「Bad Blood」(The Hungry Years/Varese Sarabande)

2023-11-02 05:18:00 | Weblog
2012年5月6日(日)

#215 ニール・セダカ「Bad Blood」(The Hungry Years/Varese Sarabande)





ニール・セダカ、1975年の全米ナンバーワン・ヒット。セダカ、フィル・コーディ、ジェリー・リーバー、マイク・ストーラーの共作。セダカとグレアム・グールドマンによるプロデュース。

ニール・セダカといえば説明するまでもなく、50年代後半から60年代前半にかけて、数々のヒットを出し、ポール・アンカとともにトップ・アイドル的な存在だったシンガー。

しかし彼にも不遇な10年間があった。ヒットも出ず、ドサ回り、後輩人気シンガーの前座をやらざるをえない、しんどい日々が。きょうの一曲が収められたアルバム・タイトルが、まさにそれ。

彼の没落には、それなりの理由があった。ビートルズの人気だ。

若くイケメン揃いの英国軍団の侵攻に、大国アメリカもあえなく陥落してしまったのだ。

トップ・シンガーの座を明け渡し落ち目の三度笠、このままではなるまいぞと思っていた10年目、セダカにようやく起死回生のヒットが出た。

74年、当時人気絶頂の英国人シンガー、エルトン・ジョンのロケット・レコードに移籍、出したシングル「Laughter in the Rain(邦題:雨に微笑みを)」が大ヒット、全米ナンバーワンに昇りつめたのだ。

以後、60年代のヒット「悲しき慕情(Breaking Up Is Hard to Do)」のバラード・アレンジによる再録音、そしてこの「バッド・ブラッド」の3連続ナンバーワンヒット達成という、見事なハット・トリックをキメたのだった。

さらにおまけとして、新人デュオ、キャプテン&テニールにも曲を提供、「愛ある限り」「ロンリー・ナイト」が大ヒットした。

「ニール・セダカ、王者として完全復活!」であった。

復活の鍵は、やはり、彼が単なるシンガーでなく、佳い曲を書けるソングライターでもあったことに間違いない。

見た目はすっかりオジさんになってしまったが、その紡ぎ出すメロディは、いまだに多くのリスナーを魅了するものがあった。

デビュー時より、自作自演のスタイルを貫いてきたセダカならではの、快心の逆転打、それがこれらのヒット群なのだ。

さて、きょうの一曲はセダカにしては珍しい、メロディよりもビートに重点をおいたナンバー。

この曲を聴いた当時、17~18才の筆者はこのビートをなんとよぶのか、知らなかった。でも、とてもノリのいいリズムなので、いたく気に入ったものだ。

その数年後、筆者はそれを「セカンドライン」とよぶのだということを、リトル・フィートの存在とともに知ることになる。

バックで、セダカに負けじと目立っているボーカルは、エルトン・ジョン。ドラムはエルトン・バンドのナイジェル・オルスン。そしてプロデューサーは10CCのグレアム・グールドマン。いずれも英国人だ。一方、ソングライティングに参加しているのは、超がつくヒットメーカーのリーバー&ストーラー。

英米トップ・ミュージシャンによるネオ・ニューオーリンズ・サウンド、それがこの「バッド・ブラッド」なのだ。

クラビネットのイントロにはじまる、ファンキーなことこのうえないサウンドに、身も心も委ねてほしい。

セダカの声の明るさ、軽さに、永遠の青春を感じる一曲であります。

音曲日誌「一日一曲」#214 ゼム「Baby Please Don't Go」(World of Them/Decca)

2023-11-01 05:00:00 | Weblog
2012年4月29日(日)

#214 ゼム「Baby Please Don't Go」(World of Them/Decca)





アイルランド出身のロック・バンド、ゼムのベスト盤(69年)より。ビッグ・ジョー・ウィリアムズの作品。

ゼムは北アイルランドの首都、ベルファストにて63年結成された(当初は5人組)。翌64年ロンドンに進出してこの「Baby Please Don't Go」でシングルデビューしたが、そのB面である「Gloria」がヒットしたことで一躍注目される。

翌年、デビューアルバム「Them」をリリースしたが、この「Baby Please Don't Go」は収録されず、69年のベスト盤でようやく日の目を見たというわけである。

リード・ボーカルのヴァン・モリスンはセカンド・アルバム「Them Again」(66年)まではバンドに参加したが、その後脱退、ひとりシンガー/ソングライターの道を歩むことになる。

66才の現在もなお、第一線で活躍し続けるモリスン。その原点はこのゼムというバンドにあるわけだが、今聴いてみても、パンキッシュでとんがった感じのサウンドが実にカッコいい。

ビッグ・ジョー・ウィリアムズの鄙びたブルースも、アップテンポのビート、オルガンの味付けでいかにも60年代風なサウンドに変貌している。

とりわけ、モリスンの攻撃的でエッジの立った歌声は、一度聴くと耳から離れない。

ストーンズ、ヤードバーズ、あるいはアニマルズといった少し先輩格のビート・バンドを意識しつつも、よりブラック・ミュージックに近い(ジョン・リー・フッカーあたりにも通じるものがある)エグ味とコクのあるサウンドを聴かせてくれるのだ。

この曲の録音当時、モリスンはまだ10代だったっていうのだから驚く。シブすぎるよ、ヴァンさん!(笑) 映画「コミットメンツ」のシンガー、デコもそうだったけど、アイルランドは、音楽的に早熟な人が多いのかね?

バックの演奏といい、歌といい、ご機嫌なことこのうえなし。個人的には、ちょっと単調な「Gloria」よりずっといいと思うのだよ。

見た目はジミだが、音はストーンズ以上にヒップだったゼム。その才能は本物だ。聴くべし。