ヤコブと言う名は「かかとをつかむ」つまり「奪い取る」と言う意味があり、その名前のように双子の兄の長子の権利を奪い取りました。
お母さんにそそのかれ、お父さんをだまして手に入れたのです。
その結果、お兄さんに命を狙われ両親の家を出ることになり、母の兄ラバンの家に行きました。
このラバンが、ヤコブの何倍も上手の人間なので、ヤコブは、何度もだまされるのですが、ここが面白いですね。
私たちは、自分達のしたことのつけをどこかかで支払わされ、調整を受けさせられるのです。
問題の中で、「あーあの時のために、今調整の手が入っているんだなー。」と思う時があります。
数十年後、ヤコブは、父の家に帰る途中で神の使いと格闘をして勝ちます。
その時、ヤコブからイスラエル「神は争われる・神の王子」と言う名前に変えられるのです。
格闘の結果、もものつがいがはずされ、へりくだりを覚えました。
神の器と言う方々は荒削りのままではなく、必ずへりくだりのための調整があるのです。
2歴代誌 7:14 「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」
自分の罪のためにイエス・キリストが十字架にかかって死んでくださり、3日目に復活してくださったことを信じ、そのイエスを主と告白するだけで私たちは救われます。
しかし、ただ救われただけではなくキリストが頭(かしら)である体つまり教会につながらなければなりません。
私たちは、教会の各器官として移植されたわけです。
実際の臓器移植は、その臓器が正しく機能するためには、時間がかかるし、拒絶反応がでる場合もあります。
キリストの体である教会の一器官として私たちも他の器官と一致して行くのに時間がかかります。
いつまでも、前の体のことばかり考えていたら、一致して働くことはできません。
それに、いつまでも正しく機能しないと、取り外され別の臓器移植がなされる場合もあるわけです。
私達は、頭なるキリストの指示に従って、正しい働きができるようになりたいですね。
ローマ 12:4~5 「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」