ジョージ・ミュラーが、孤児院を建てる前に、命を狙われますが、その時の拳銃を描くのに1848年型を描きました。
と・ところが、事件があったのは、1947年だったのです。
拳銃の本は家にありますが、もう一度ネットで検索し直して手直しをしました。本当に、歴史を描くときは、何年に作られたかと言うのを確認して描いていますが、特に建物に関して確認が必要です。
ブリストル名物の橋は、ミュラーが行った頃にはありませんでしたが、途中でできたのです。
だから、それを描いたら違ってしまいます。
いろいろ失敗はありますが、多くは専門家にしか分からないと思いますが・・・。
資料の本に書いてあったので、そのまま書いたら、全く違っていたと言うのはよくあるので、最近は、確認を取るようにしています。
初期の作品は、再版した時に直したいのが、数か所あります。ところで、歴史と言うのは、資料によってかなり違うことが書いてあるので、どれを採用するかで全く違う物になることもあるので、大変です。
最近は、おねえ系のお坊さんが、芸能人の人生相談に用いられています。
昨日も、「あんたは、感謝の念が足らない。」とある方が言われていました。
感謝と言うのは、聖書の中にたくさん出てきます。
良いことも悪いことも、神様の許しのうちにあり、神は愛なのだから、その神様が許されている悪いことも、必ず益になるです。人間は、目先のことしか見えませんが、神様はすべてをご存じで許しておられるのです。
問題の中で、泣いたり悲しんだりするのではなく、感謝して行く時、思索や感情が守られるのです。
そして、問題は変わらなくても、自分自身が変えられたり、忍耐が養われたり、その問題の後ろにある神様の大きなご計画が現れてくるのです。ある方の息子さんが、足の障害を持っていて、幼稚園の時からいじめられていましたが、いつも神様に感謝していらっしゃいました。
やがて、足はいやされ、その中で多くの訓練を受けてきたので、その証が賛美となり映像となり、多くの方を励ますために用いられています。
白馬スネルゴイキャンプで、「すべてが益になりましたね。」というと、「み心の所に残ったからです。」と言われました。
どんなにつらいことが許されたとしても、感謝し、神様がみ心とされているところに立ち続けることが重要なのですね。