まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

月餅と饅頭

2011年09月02日 | Weblog

中国で、月餅に税金が科せられると言うので、話題になっています。
中国では、旧暦の8月15日・現在の9月18日ころ、中秋節の時、月を愛でながら円満のしるしである月餅を丸いテーブルを囲んで食べる習慣があります。
この時期には、会社や家族や友人間で、月餅を配る習慣があるそうです。
その月餅に税金をかけると言うので、国民がびっくりしている訳ですね。
これが日本のお月見の習慣の元になっているわけです。
ところで、14世紀半ば、中国の元王朝時代は、モンゴル民俗中心主義で漢民族は差別されていました。
そこで、漢民族が、モンゴル元王朝を倒そうと思い、月餅の中に挙兵する日を書いた紙を入れて配り、一斉蜂起して、元王朝を倒して、明王朝ができたというお話があります。
三国志で有名な諸葛孔明は、川の神にささげる人身御供の代わりに、人間の頭に似せて牛や豚の肉を入れた饅頭を作って奉げたそうです。
それを「まんとう」と呼んでいましたが、「まんじゅう」と言うようになったのです。
日本には、14世紀にお坊さんを通して伝わりましたが、仏教では肉を食べないので餡を入れるようになったそうです。
いつも食べている饅頭の起源が、超有名な軍師の諸葛孔明だなんて・・・びっくりですね。
でも、月や川を造られた、真の神様のことを忘れているのが、残念ですね。





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伊沢修二

2011年09月02日 | Weblog

歴史を調べていると、あーこの人がいなかったら今はないなーと言う方がいます。
日本の音楽教育も、目賀田種太郎がいなかったら、もっと遅れていたでしょう。
彼が、アメリカに留学していた時、メーソンと言う音楽の先生に指示しますが、その時、友人の伊沢修二を誘います。
そして、26歳の目賀田は、二通の手紙を田中不二麿文部大輔(大臣代行)に出します。
西洋音楽を学校教育に取り入れることと、音楽学校を作ること、そして、メーソンを招へいして、彼と伊沢修二を実行者とすることなどを書いたのです。
しかし、当時は「音楽は国民を脆弱にする。」というので、却下されましたが、翌年採用され「音楽取調掛」(東京音楽学校の前身)ができました。
1880年(明治13)にメーソンは招聘され、1887年(明治20)東京音楽学校(東京芸術大学の前身)ができ、伊沢修二が初代校長になりました。
この方は、東京盲唖学校長になり、吃音矯正の第一人者になりました。
彼がいなかったら、日本の音楽の歴史は変わっていたでしょう。

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