現代の東大は、江戸時代は加賀屋敷でした。
その名残が、東大赤門です。
ところで、明治の初期は、まだ東大ができる前ですが、加賀屋敷に多くの外国人が住んでいました。
正門を入って左手・現在の工学部のあたりは、法理文系のお雇い外国人12人の家がありました。その中には、日本のいろいろな物を集めモースコレクションを作った動植物学者のモースも含まれています。
また、池之瑞門を入った方には、医学部系のドイツ人たちが住んでいました。
ナウマン象を発見した地質学のナウマンや、医師のベルツなど7人の家がありました。
明治9年に、江戸で大火があった後36時間もたたないうちに「仮小屋と称すべき程度の物であるが、千戸以上の家屋が、まるで地から生え出たように立ち並んでいる。」と、ベルツは、日記に書いています。
クララは、翌朝焼跡を見に行きましたが、人々や警官たちが助け合い、しゃべったり食べたり笑ったり、冗談を言っているのを見て救われる思いだと書いています。「大きな家族のようで、子供たちも静かに楽しんでいるようで、涙を流す者は一人もいなかった。」とも書いています。
この時、三台のオルガンのあったウィリアムズ主教の礼拝堂と家(聖公会)は全焼しました。
江戸に火事と喧嘩は付き物だと言いますが、外国人たちの日記に火事と地震の記事がよく出てきます。
同じ事件を、いろんな方の日記で発見するのもまた、興味深いものです。