まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

まるごと横浜

2011年12月07日 | Weblog


今日は、東京駅9時40分発のはとバスで、横浜に行ってきました。
修学旅行コースと、同じところを回ってきました。
港の見える丘公園の近くには、明治時代の建物が唯一残っていると言う山手博物館の中を見たかったのですが、第二水曜日はお休みなので、中に入ることはできませんでした。
そのほかの、洋館の中はいろいろと見ることができました。
真冬なので、庭には薔薇などが少し咲いていました。
それでも、外人墓地には、宣教師たちの名前が並んでいましたが、外人墓地で眠っている方々の写真集を持っています。
クリスマスシーズンなので、洋館はツリーやリースでいっぱいでした。
一時期、集会が待たれていたゲーテ座もありましたが、当時とは違っているでしょう。
久しぶりの中華街でしたが、お店がかなり変わっていました。
同じ系列のチェーン店がおおくなり、どこに行ったも同じ店のような感じがしました。
食事はいまいちでしたが、歩きながら食べたマンゴーソフトクリームは、おいしかったです。
フェリーの1時間クルージングは、暖かかったので、本当にさわやかでした。
約100年前、ヘボンや、バラたちが歩いた道をたどって帰って来ました。

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宣教医ヘボン

2011年12月07日 | 歴史

ヘボン式ローマ字でおなじみのヘボンは、初め中国で宣教医として働いていましたが、奥さんが病気になりニューヨークに行き、開業医をしていました。
ところが、神様の導きで、日本に宣教医としてやってきたのです。
初めは伝道ができないので、辞書や聖書の翻訳の働きをしました。
しかし、奥さんともどもリュウマチや神経痛にかかり二人とも足を引きずって痛みに耐えて歩いていたそうです。
多くの宣教師が、リュウマチなどにかかったようです。
湿気が問題ではないかと思います。
クララ・ホイットニーは、日本人に肺病が多いのは、風通しの良い着物のせいだと言っています。
中に、シャツを着たほうが暖かいと言っていますが、明治の初期から、着物の下にシャツを着て蝶ネクタイをするのが流行りました。
あの天璋院篤姫も、着物の下にシャツを着ていたそうです。
明治の初期は、洋服や洋風の髪が流行りましたが、結局、昔の方がよいと言うことになり、江戸時代の様式にかなりもどってしまったようです。
歴史は面白いですね。

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