バプテストの方々は、洗礼を浸礼しか認めていないので、パブテスマを訳すのに「浸め」と訳すように主張しました。
そのため、ヘボンたちは知的レベルの高い方用の聖書をつくりましたが、バプテストのネーサン・ブラウンは、教育を受けていない方々でもわかる翻訳の聖書を作りました。
結果的に、ヘボンたちが翻訳した聖書が残りました。
ところで、このネーサン・ブラウンは、日本に来る前にビルマ(現ミャンマー)の宣教師をしていた時期があります。
1833年にミャンマーに行き、聖書翻訳にかかわっています。
そのあと、日本で聖書の翻訳にかかわったのです。
色んな賜物の方々が、いらっしゃったのですね。ほんとうに、ありがたいことです。
とうとう、明日が「こころゴスペル」の日です。
ところで、この間横浜に行ってきましたが、最初に行ったのが港の見える丘公園です。
ここは、日本で最初にできた公園だと本に書いてありました。
今、宣教師たちの本を読んでいますが、多くの方々が公園の側にある山手に住んでいました。
その中の、何人かは、外人墓地に眠っておららます。
日本人を愛し、日本のために全てを捧げてくださった方々です。
ほんとうに、感謝です。