高橋是清は、生まれてすぐに、足軽の家に里子に出されました。
数年後、お金持ちのお菓子屋さんが養子に欲しいといってきたので、本当の親はそちらに出そうとしました。
ところが、里親はかわいくて手放したくないというので、そのまま里子に出した家の子になりました。
おばあさんにすごくかわいがられましたが、ある時、お殿様の奥方の目に留まりここでも、かわいがられます。
徳川様が来られたとき、行列の前の方にヨチヨチ歩いていって、馬に踏まれましたが、かすり傷一つなかったのです。
そこで、みんなから「しあわせ者」だと言われ続け、本人もその頃から、自分はしあわせ者だとずっと思いながら生きてきた人です。ヘボンやブラウンに英語を習い、放蕩三昧でしたがアメリカに行きました。
ところが、だまされて3年間の奴隷に売られていたのです。
そこでもかわいがられいましたが、日本に帰って来てからもフルベッキの家に住み込んでやりたい放題をしました。
そのために、フルベッキの家を出ることになり、お別れに聖書をもらいました。
放蕩三昧の方でしたが、色んな方々に愛されました。
総理大臣にもなりましたが、2.26事件の時に暗殺されてしまいます。
その時、フルベッキにもらった聖書が机の上に置いてありました。
暗殺されましたが、ご本人がいっも言っていらしたように「しあわせ者」だったと思います。
幕末時代、日本に来た宣教師の多くは、ギュツラフ訳の聖書を読んできました。
これは、漂流した、漁師たちの助けによって翻訳されたものですが、本当に不完全な訳です。ヨアンネスノ タヨリ ヨロコビ
ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル。コノカシコイモノワゴクラク。
分かりますか?ヨハネの福音書
初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。
まず、日本に真の唯一の神という概念がありませんでした。
仏教の天国は、極楽という言いかたをしますが、真の神様がおられるところなので、真の神様のことを極楽と訳しています。
それから、ヨハネはイエス・キリストのことを「ことば」と言っていますが、この地上のすべてが、神のことばによってできたので、このように表現しました。
そこで、ギュツラフは、ことばを賢いものと訳したのですが、ことばをイエス・キリストに置き換えるとこうなります。ヨハネの良い知らせ
初めにイエス・キリストはいた。 イエス・キリストは神とともにいた。 イエス・キリストは神であった。
ヨハネの福音書は、一番言葉の種類が少なく、日本人に理解されやすい書です。
ですから、ギュツラフは、このヨハネの福音書を翻訳したのです。
福音と言うのは、「良きおとずれ・良い知らせ・Good News」と言う意味です。
何が、「良い知らせ」かと言うと、真の神様のひとり子であるイエス・キリストが、私たちの罪の身代わりになって十字架にかかって死んでくださいました。
しかし、三日目に復活して、死を打ち破ってくださったのです。
だから、自分は罪人だと認め、その罪のために十字架にかかって死んでくださったと信じ、イエスを主(しゅ)だと告白するだけで、救われて、肉体は死んでも霊が天国に行くことができますよ。
と言うのが、良き知らせなのです。
世の中では、クリスマスですね。
ところで、イエス・キリストは、12月25日に生まれたのではありません。
羊飼いたちが野宿していたので、雪の降る寒い時期ではなく、春とか5月だったと言う説もあります。
12月25日は、もともとはローマの太陽神のお祭りだったので、それに便乗したわけです。
聖書では、弟子たちがイエス様のお誕生日を祝ったと言うことは出てきません。
いつまでも赤ん坊のイエス様ではなく、成人して私たちの罪の身代わりとなって死んでくださり、三日目に復活されたことが重要なのです。
そのことによって、私たちは救われたのですから。