明日は、2時間かけて千葉に行きます。
埼玉では、暑さのために運動はしない方が良いという注意報が出ています。
本当に、熱中症が怖いですね。
千葉では、埼玉よりも地震が頻繁に起きています。
稲毛は海の見える良いところですが、液状化の後もまだ残っているところがあります。
地震も猛暑もどちらも守られるように祈ることが大切ですね。
写真は、昨年の後半に取ったものです。
液状化した道路も、今は直っています。
徳冨蘆花は、勝海舟の屋敷内に住んでいた時、兄の徳富蘇峰の民友社に勤めていました。
もともと蘆花は、天才肌の自由人なので、十代前半から、兄を父として、師として学ぶうちに劣等感と尊敬が入り混じり苦しみ続けました。
特に、蘇峰がジャーナリストとして、華々しい活躍をする陰で、自分の思い通りの作品が書けないジレンマから明治29年頃にはノイローゼになっています。
最悪の頃に勝邸に住んでいたわけです。
自分の家の犬が、屋敷内の誰かにかわいがられるのを見ただけで殺してしまい、夜中に刀を持って一人で荒れ狂ったりしたのです。
そして、兄と同じように信仰を捨てますが、後に冨士山に登った時、数日間人事不詳になり眼を覚ました時、再び信仰を取り戻しています。蘆花が、勝邸を出たのが明治30年の1月ですが、その後大山巌の家に働いていた関係者から大山の娘・信子の話を聞きます。
信子は結婚したばかりで結核になり離縁されますが、「もう女に生まれたくない」と言って死んで行ったのです。
この話を聞いた時、蘆花の体に電流のようなものが走り、小説にしなければと思います。
信子の母親は、クララから英語を習っていましたが、20代前半で出産後の経過が悪くて亡くなります。
その後に、大山巌は、アメリカから留学を終えて帰って来た山川捨松と結婚をします。
大山巌は片岡中将、信子は浪子、捨松はいじわるな継母として小説に書かれています。
浪子は夫が戦地に行っている間に、離縁されて家に戻ってきます。
そして、病治療用に行った先で知り合ったクリスチャンの婦人と出会います。
彼女は自分の、苦しかった人生の中でいかに信仰を見出したかを語ります。ただ、当時の時代背景もあり、浪子が信仰に入ったと言うことまでは書かれていません。
そこが残念だと思います。
兄の民友社から出している国民新聞に連載していましたが、単行本になりベストセラーになりました。
教科書にも載り、海外でも「NAMIKO」というタイトルでベストセラーとなりました。
蘆花の死後、妻の愛子は浪子のモデルとなった大山信子の妹と知り合いになります。
家族で、「お姉さんの話に似ている。」と言いながら、毎週連載を楽しみにしていたそうです。