前から見たいと思っていたDVDをいくつか借りてきました。
それを今晩は見ようと思っています。
漫画の原作もありますが、2本とも、時代劇です。
衣装の参考にもなるので、写真を撮りながら見る予定です。
内容は、又そのうちに書きます。お楽しみに。
今日から、夏休みです。
病院に行って、前回の血液検査の結果、中性脂肪が多すぎで、善玉菌が少ないと注意を受けて帰ってきました。
中性脂肪は、甘いものや油ものを控えなければならないそうですが・・・
最近は、野菜を多く食べていますが、お肉をあまり食べない分、炭水化物が多いと言われてしまいました。
帰りに、最近できた激安食料品店によると、なんと「ガリガリ君」68円が48円で売っていたので、数本買ってしまいました。
珈琲も、安い時で398円なのに、198円でした。
安い物を買うのは、ストレス解消になって嬉しいです。
現在、冷凍庫の中には、大好きなガリガリ君の梨味がたくさん入っています。
パッケージも3種類くらいあるのも、面白いですね。
1864年(元治元年)21才の時、新島襄は、キリスト教や外国について知りたいために函館からアメリカに向けて密航しました。
翌1865年(慶応元年)7月20日、にアメリカのボストンに着き、24日に上陸しました。
最初に乗船させてくれた船長は、新島のことが原因で首になってしまいました。
二度目の乗った船のテイラー船長の紹介で、船主・アルフュウス・ハーディー夫妻が、新島を引き取り、学校に行かせます。
新島は、翌年23才で、洗礼を受けました。
1871年(明治4)、当時、駐米公使だった森有礼に対面し、森の計らいで正式に留学生として承認されました。
この年、アマースト大学を卒業しますが、この学校で、ウィリアム・スミス・クラークから化学の授業を受けています。
クラークにとって、初めての日本人生徒です。これが縁で、クラークは、1876年7月に、札幌農学校の教頭に赴任しました。
8ヵ月間だけでしたが、そこで、数人の学生が信仰を持ち札幌バンドと呼ばれるようになりました。
その学生たちから影響を受けた内村鑑三は、自らクリスチャンネームをヨナタンと付けています。
これは、イスラエルの初代王・ソウルの息子で、後に王になるダビデの親友の名前です。
この、内村は、最初の奥さんが家を出て行った後、傷心のままアメリカに行きアマースト大学に入ります。
そこで、真の信仰に目覚めた話は前に書きました。
ところで、新島襄の本名は、新島七五三太(しめた)です。
上が女の子ばかりだったので、初めて男の子が生まれた時、「しめた!」と言ったところから付いたそうです。
密航していた船の上で、「ジョー」と呼ばれていたので、譲と改名しましたが、後に襄に変えたのです。