1878年(明治11)に、東京にいた元将軍の奥方が誰であったかと言うことを調べています。
勝海舟の娘・逸(18才)が、1年間に3回も行き、アイスクリームを作ってあげたりしています。
奥方は、失われた権力を忍んで、昔の衣装を着ていました。
その本のインデックスでは、15代将軍徳川慶喜の奥方である美賀子になっていました。
ところが、美賀子は謹慎がとかれたばかりの静岡にいる慶喜の所にいたのです。
慶応4(1868年)江戸城を、出たばかりの13代将軍家定の正妻・天璋院・篤姫と、13代将軍家定の生母・本寿院と、14代将軍家茂の生母・実成院は、慶喜の屋敷である一橋家に入りました。
この時、慶喜は、上野の寛永寺で謹慎蟄居をし、美賀子は、別のところに行きました。
その後、篤姫たちは、赤坂の勝邸の近くの屋敷に写ります。
そして、1877年(明治10)には、天璋院・篤姫と本寿院は千駄ヶ谷に徳川宗家の屋敷を建ててそこに移り、そこで亡くなります。
14代将軍家茂の生母・実成院は、一橋家で亡くなっています。
簡単に言うと1878年に、千駄ヶ谷の徳川宗家にいたのが、天璋院・篤姫(42才)と本寿院(52才)です。
和宮は、前年に亡くなっており、実成院(72才)は一橋家にいました。
天璋院・篤姫は、男のようなサバサバした人で、着物の下にシャツを着ていた人なので、昔の衣装を着ていたと言うのは無いと思います。
だとすると、実成院かとも追いますが、この時72才なので、18才の娘が何度も会いに行くとは思えません。
そうなると、本寿院かとも思いますが、謎解きですね。あ~分からない!
スペインのフレスコ画の件ですが、予想どうりの結果になっています。
19世紀の有名な画家の絵が、猿のようになってしまいましたが、世界中から、見学者が訪れています。
そうなると、便乗商品がたくさん出てきて、絵の写真をプリントしたTシャツや、絵の入ったクレープまでもありました。
今では、町おこしになっているそうですが、後本人は病院に入院したそうです。
修正してあの絵になったのではなく、へたうまイラストとしてみればいいわけなのですが、塗りつぶされた絵がかわいそうですね。
彼女を応援する人も、たくさん増えています。
なんといっていいのか分からない、ニュースですね。