無教会の内村鑑三は、合計4回結婚していますが、ちょっとびっくりですね!
初めの結婚は、残念ながら離婚したのです。
安中教会で出会い、翌年1884年(明治12)3月に、23才で結婚しています。
当時の鑑三は、札幌農学校の頃に洗礼を受け、卒業後、農商務省農務局水産課に勤めていました。
浅田タケは、美人でハイカラで新しいタイプの女性でしたが、同じ年なのに2も年下だとサバを読んでいたのです。
虚栄心と見栄っ張りで、出ずっぱりだと思われていたので、母親は大反対しました。
それでも、鑑三は、「姉さん」と言って愛していたわけです。
鑑三の友人は、「極端な無邪気か軽率な人だけど、盲目的な人には、前者に見える。」と言っていましたが、鑑三は前者だった訳です。
クララの日記に、その結婚式の模様が詳しく載っています。
「感じのいい顔立ちで、23才くらいだが20才だそうだ。小太りで、横浜のミス・ブリテンの生徒で、クリスチャンだそうだ。」
と言うようなことを書いています。
ところで、結婚はしてみたものの、鑑三の家は、3部屋で、7人家族という住宅事情でした。
そして、タケは、なんと10月には実家に帰ってしまいました。
傷心の鑑三は、11月にアメリカに留学し、そこで、本当の信仰に目覚めたのです。
1889年(明治22)5月に正式離婚しましたが、タケは、何度も復縁を迫ったそうです。
後に、別の人と結婚します。
1891年(明治24)には、第一高等中学校の教師をしていましたが、教育勅語奉読式で最敬礼しなかったという理由で「不敬事件」を起こします。
そして、2度目の奥さんは過労などから病気になり大迫害の中で亡くなってしまいました。
その後、万朝報社に勤めますが、新聞が非戦論から、戦争を擁護する立場に変わったので、退社します。
そして、無教会を唱えながら、各地を回り、多くの執筆をしました。
この頃、密かに結婚していますが、どういうわけかすぐに別れています。
この結婚は、極秘だったため、あまり詳しく分かっていません。
そして、最後に結婚した方とは、子供もできて安定した生活に入ったのです。
人生、いろいろありますね。
埼玉は、物凄い雷でした。
何度も落ちているような「ドカーン!」という音がしたので、TVやパソコンやクーラーもみんなコンセントから外して仕事をしていました。
小学校4年くらいの時、扁桃腺の手術をしたことがあり、入院中に工事現場に雷が落ちて、救急車で何人かが運ばれて来たことがありました。
それを見てからだと思うのですが、異常に雷が怖くて、一人で家いることができませんでした。
雷の大きな音がすると、隣の家に避難していました。
大人になってから、いつの間にか、そんなことも無くなりました。
それでも、大きな音がすると、万が一近くに落ちた時に備えて、電化製品のコンセントは抜いて回ります。
聖書では、雷は神さまの声として出てきますが、それは、本当に特別な時に限ります。
やはり、雷は、注意が必要ですね。
月に一度、病院にいって血圧の薬をもらっていますが、今日行ったら夏休みになっていました。
自分が、お休みを取っていないので、夏休みがあるなんて理解していませんでした。
来週1週間、夏休みにしょうかと考えています。
でも、お休みにしたと言っても、結局ほとんど仕事だと思いますが・・・。
それでも気分が違いますよね。