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福岡市が大きく都市計画を方向転換した昭和30年代、その道筋の痕跡を確認すべく地道に関連資料を集めています。
これは昭和37年8月発行の博多港パンフレット、沿岸の炭鉱が次々に閉山となり、博多ポートタワーなど博多埠頭の整備直前の計画です。
当時の埋立計画だと博多湾の東側(東区)はほぼ埋め立てられる計画だった事がわかります。イケイケどんどんの時代、炭鉱閉山や昭和40年代後半のオイルショック等がなければどうなったか…
北九州市のような工業都市をめざしたものの挫折し、物流拠点化に舵を切った当時の埋立計画ですが、基本は以下の大正初期の杉山茂丸の頃(当時は石炭産業と密接、第一次世界大戦後の不況で頓挫)と変わってないかも…