記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

映画「42」日本版パンフ寄稿文への疑問

2013年11月07日 20時58分21秒 | 西鉄ライオンズ

先週土曜日に映画「42」をみて、映画のパンフレットを購入し読んでから数日、とても悶々とした日々を過ごしました。「月刊メジャー・リーグ」に連載をもち、野球に関する数々の翻訳本や著作のある評論家・芝山幹郎氏の寄稿文に、昭和31年の引退間際にドジャースの一員として来日した際の事が書かれていて「故障を抱えていたロビンソンは1試合出場しただけで、ひと足先に帰国してしまった。私はがっかりした。」と記されているんです。

私は2年連載した「伝説の西鉄ライオンズ」のなかで、ドジャース来日時の平和台球場での稲尾対ロビンソンの対決について触れていますが、この文章をそのまま受けると「ロビンソンは福岡・平和台には来ていない」事になります。おそらく幼少時の記憶をそのまま記して正確に資料をチェックしなかったんだと思いますが、著名な方の、映画の公式パンフへの掲載文は必ず「間違い」も一人歩きします。他のカ所は素晴らしい文章なのに、ひとつの間違いで全文が嘘っぽくなりますし、芝山氏の他の著作も全て信頼して読めなくなります。どこかで訂正してほしいのがホンネ。

ベースボールマガジンなどで当時の各紙でドジャースの来日は特集されて記事で遺っています。その中で70ページ強にわたって特集し、最も詳細な「野球界」第46巻第12号・昭和31年12月号から写真や記録を抜粋。私はこれらの記録を確認して原稿を書きました。はっきりとロビンソンが平和台球場でプレーしている写真が掲載され(この日は三塁手)、日本各地を夫人同行で転戦し全19試合に出場したことも判ります。野村さんら出場していた選手もまだ数多く健在ですし、何よりロビンソン夫人も健在。誰かこの間違いに気づくんだろうか。

ま、どーでもいいっちゃ、いいんだけど…

以下「野球界」ドジャース来日特集&ジャッキー・ロビンソンの記事ページ。


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