九州北部もようやく梅雨が明けた。今日は手伝っている新規開業の歯科医院
の建物撮影だったが、久々に快晴となり最高の撮影日よりとなった。週末に絵
葉書などで懐かしい町並み・風景の画像を紹介するサイトを立ち上げたが、い
きなり1日で5人の問い合わせ注文が来て少々驚いている。
まだサイトは公開準備中、画像を毎日追加している状態だが、10月末まで
に希望としては1万点の絵葉書画像の公開をめざしている。ちなみにこの作業
を自分でやるか、外注するか迷ったが同業も含めサイト構築やホームページ制
作会社に見積を取ると、気が遠くなるようなバカ高い費用ばかり提示された。
4年前に同じように見積を取った時よりも3割程度安くなっているのは、ホー
ムページ制作の料金相場が値下がりしているのと関係ありそうだ。
週末、初三郎研究のF氏より埼玉で開催中の企画展「博物館発小さな旅・埼
玉遊覧案内」の資料一式が届いた。ポスターや簡単なパンフレットが同封され
初三郎「熊谷市鳥瞰図」絹本原画2点(昭和11年、昭和30年)とともに、F
氏が昨年発見確認した吉田朝彦(二代目初三郎・吉田朝太郎の別名)「青木信
用金庫営業地区店舗配置鳥瞰図(昭和54年)」絹本原画の画像も掲載されて
いて、この原画を実際に観てみたいと改めて思った。
28日にはF氏が研究成果を含め記念講演をするそうだが、私は博多で仕事
があるため行けないのが残念である。吉田朝彦「青木信用金庫」作品は鳥瞰図
そのものの隆盛が去った随分後の作品である。朝太郎さんの絶筆「川崎市鳥瞰
図(平成11年)」に通じる、初三郎式鳥瞰図の後継者たる自負と、現代に合っ
た鳥瞰図制作への挑戦が観てとれる好作品だ。
初三郎の弟子で戦後、日本画家としても評価された寺本左近(本名:郷史)
の作品が故郷の豊島(てしま=香川県)にあると、当ブログを見た方から書き
込みで教えていただいて、これにも興奮した。早速、寺本左近の作品譜をご遺
族の了解を得て手がけているF氏に伝えると、お盆前後郷里の鳥取への里帰り
の際に遠回りして確認に行くとのこと。
豊島は吉田初三郎の妻・ゆり子さんの故郷。初三郎代理として活躍した高弟
・前田虹映の妻はゆり子さんの実妹、つまり寺本左近だけでなく吉田初三郎一
族にとって豊島は共通の縁ある地である。虹映の長男・稀さんにも豊島のこと
や香川県内の原画所在の本格捜索の必要性はいつも言われているので、今年の
秋にはじっくり時間をかけて初三郎・虹映・左近の絹本原画や資料探しをした
い。
新聞スクラップを調べていくと、金刀比羅宮には初三郎初期の「小豆島」原
画がどうやらあるようである。同様に讃岐地方の寺社仏閣の多くを描いており、
善通寺や観音寺などをひとつずつ丁寧に調べる必要あり。すでに虹映の「志度
寺鳥瞰図」原画は現地で確認済み。
讃岐といえば、昨日は久々にDVDで「UDON」を観た。昨秋、家族でロ
ケ地巡りをしたこともあり、映画を観ただけでうどんが食べたくなって、「牧
のうどん」へ食べに行った。栢野さんは今宿店へ良く行くようだが、私が行く
のは最近できた福岡空港近くの店である。
映画を観て、劇中歌・ウルフルズ「バンザイ~好きでよかった」を聴いたの
で無性にウルフルズのDVDが観たくなって、ライブラリーの「ウルフルV」
も観た。ビデオテープで買っていたものを昨年DVDボックスが出て買い直し
たものである。最近は同じウルフルズでも「サラリーマンNEO」主題歌の
「ええねん」が入った3枚目をいつも観ていた。
ウルフルズを最初好きになったのは伊藤銀次がプロデュースに参加していた
頃。「借金大王」「大阪ストラット」等がお気に入りだった。当時はまだ「ガ
ッツだぜ!」の前でまだマイナーだった時代。この頃はスペースシャワーTV
で放送していた「夕日のドラゴン」があっていた頃で、司会は「UDON」で
共演を果たしたユースケ・サンタマリアとトータス松本であった。
今でも番組の中でユースケの大分の実家を訪ねる回(スペシャルだったか?)
のビデオがどこかにあると思って、その後探したが判らず終い(笑)。
う~ん、すごく気になる…。
伊藤銀次といえば、大御所・大瀧詠一である。ナイアガラトライアングルで
ある。日本で最初にCDを出した方である。我が家には当然、大瀧様の全CD
がある(笑)。ウルフルズ「大阪ストラット」は大瀧詠一「福生ストラット」
の吹き替えカヴァー。私と妻の出逢いは同じ会社で同じ部署に所属していた事
よりも、共に大瀧ファンだったことが大きな要因…。話が音楽ネタとなるとど
んどん脱線する。
今日の写真は本文とは何の関係も無い(笑)「小倉菊屋デパート」開店記念の
絵葉書だ。昭和13年開店、菊屋はのちの小倉玉屋。玉屋進出に危機感を募らせ
た地元が反対運動を起こし、玉屋は懐柔策を講じまず八幡へ店舗を出し、その
後小倉に「菊屋」という別名で出店した。現在、リバーウォーク北九州となっ
ている一帯。同絵葉書図柄など、私の担当した企画展「昭和レトロ博覧会」ゼ
ンリン地図の資料館にて展示公開中!
人気blogランキングへ
の建物撮影だったが、久々に快晴となり最高の撮影日よりとなった。週末に絵
葉書などで懐かしい町並み・風景の画像を紹介するサイトを立ち上げたが、い
きなり1日で5人の問い合わせ注文が来て少々驚いている。
まだサイトは公開準備中、画像を毎日追加している状態だが、10月末まで
に希望としては1万点の絵葉書画像の公開をめざしている。ちなみにこの作業
を自分でやるか、外注するか迷ったが同業も含めサイト構築やホームページ制
作会社に見積を取ると、気が遠くなるようなバカ高い費用ばかり提示された。
4年前に同じように見積を取った時よりも3割程度安くなっているのは、ホー
ムページ制作の料金相場が値下がりしているのと関係ありそうだ。
週末、初三郎研究のF氏より埼玉で開催中の企画展「博物館発小さな旅・埼
玉遊覧案内」の資料一式が届いた。ポスターや簡単なパンフレットが同封され
初三郎「熊谷市鳥瞰図」絹本原画2点(昭和11年、昭和30年)とともに、F
氏が昨年発見確認した吉田朝彦(二代目初三郎・吉田朝太郎の別名)「青木信
用金庫営業地区店舗配置鳥瞰図(昭和54年)」絹本原画の画像も掲載されて
いて、この原画を実際に観てみたいと改めて思った。
28日にはF氏が研究成果を含め記念講演をするそうだが、私は博多で仕事
があるため行けないのが残念である。吉田朝彦「青木信用金庫」作品は鳥瞰図
そのものの隆盛が去った随分後の作品である。朝太郎さんの絶筆「川崎市鳥瞰
図(平成11年)」に通じる、初三郎式鳥瞰図の後継者たる自負と、現代に合っ
た鳥瞰図制作への挑戦が観てとれる好作品だ。
初三郎の弟子で戦後、日本画家としても評価された寺本左近(本名:郷史)
の作品が故郷の豊島(てしま=香川県)にあると、当ブログを見た方から書き
込みで教えていただいて、これにも興奮した。早速、寺本左近の作品譜をご遺
族の了解を得て手がけているF氏に伝えると、お盆前後郷里の鳥取への里帰り
の際に遠回りして確認に行くとのこと。
豊島は吉田初三郎の妻・ゆり子さんの故郷。初三郎代理として活躍した高弟
・前田虹映の妻はゆり子さんの実妹、つまり寺本左近だけでなく吉田初三郎一
族にとって豊島は共通の縁ある地である。虹映の長男・稀さんにも豊島のこと
や香川県内の原画所在の本格捜索の必要性はいつも言われているので、今年の
秋にはじっくり時間をかけて初三郎・虹映・左近の絹本原画や資料探しをした
い。
新聞スクラップを調べていくと、金刀比羅宮には初三郎初期の「小豆島」原
画がどうやらあるようである。同様に讃岐地方の寺社仏閣の多くを描いており、
善通寺や観音寺などをひとつずつ丁寧に調べる必要あり。すでに虹映の「志度
寺鳥瞰図」原画は現地で確認済み。
讃岐といえば、昨日は久々にDVDで「UDON」を観た。昨秋、家族でロ
ケ地巡りをしたこともあり、映画を観ただけでうどんが食べたくなって、「牧
のうどん」へ食べに行った。栢野さんは今宿店へ良く行くようだが、私が行く
のは最近できた福岡空港近くの店である。
映画を観て、劇中歌・ウルフルズ「バンザイ~好きでよかった」を聴いたの
で無性にウルフルズのDVDが観たくなって、ライブラリーの「ウルフルV」
も観た。ビデオテープで買っていたものを昨年DVDボックスが出て買い直し
たものである。最近は同じウルフルズでも「サラリーマンNEO」主題歌の
「ええねん」が入った3枚目をいつも観ていた。
ウルフルズを最初好きになったのは伊藤銀次がプロデュースに参加していた
頃。「借金大王」「大阪ストラット」等がお気に入りだった。当時はまだ「ガ
ッツだぜ!」の前でまだマイナーだった時代。この頃はスペースシャワーTV
で放送していた「夕日のドラゴン」があっていた頃で、司会は「UDON」で
共演を果たしたユースケ・サンタマリアとトータス松本であった。
今でも番組の中でユースケの大分の実家を訪ねる回(スペシャルだったか?)
のビデオがどこかにあると思って、その後探したが判らず終い(笑)。
う~ん、すごく気になる…。
伊藤銀次といえば、大御所・大瀧詠一である。ナイアガラトライアングルで
ある。日本で最初にCDを出した方である。我が家には当然、大瀧様の全CD
がある(笑)。ウルフルズ「大阪ストラット」は大瀧詠一「福生ストラット」
の吹き替えカヴァー。私と妻の出逢いは同じ会社で同じ部署に所属していた事
よりも、共に大瀧ファンだったことが大きな要因…。話が音楽ネタとなるとど
んどん脱線する。
今日の写真は本文とは何の関係も無い(笑)「小倉菊屋デパート」開店記念の
絵葉書だ。昭和13年開店、菊屋はのちの小倉玉屋。玉屋進出に危機感を募らせ
た地元が反対運動を起こし、玉屋は懐柔策を講じまず八幡へ店舗を出し、その
後小倉に「菊屋」という別名で出店した。現在、リバーウォーク北九州となっ
ている一帯。同絵葉書図柄など、私の担当した企画展「昭和レトロ博覧会」ゼ
ンリン地図の資料館にて展示公開中!
人気blogランキングへ