記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

幻想的なライトアップの中での姪浜町家保存シンポジウム。

2007年09月30日 09時32分54秒 | まちづくり
 昨夕は姪浜の町家保存活動を始めたばかりの地元協議会主催シンポジウム
に顔を出した。西区まるごと博物館推進会の活動でご一緒している、会長の
川岡氏からのお誘いだったが、博多の町家保存活動にも関わっている長谷川
法世さんも基調講演されるし、仕事も一段落したので急遽出掛けた。

 会場は姪浜住吉神社の境内に設けられた特設会場。日没とともに社殿と神
木である樹齢700年といわれる大銀杏が背景にライトアップされ、幻想的な
雰囲気の中での楽しい催しとなった。ここは2年半前の福岡県西方沖地震の
際に大鳥居や門などが倒壊した地。当時、再建費を求めて宮司がTV番組に
出て賞金一千万円獲得し話題になった。

 会長の川岡氏は家業の傍ら地元の歴史や近代資料保存に熱心。博多湾の神
々伝説の中心地である小戸大神宮が日本神話の出発地であると信じ、裏付け
資料の収集研究に奔走する。唐津街道の姪浜宿として栄え、近代は炭坑町と
して発展した姪浜も今は福岡市西部の中心市街地、ベットタウンとして開発
高層マンション建設が進む。

 姪浜は戦災を受けなかったことで、江戸~昭和初期の伝統的な町家が今も
百軒ほど当時のまま残る。博多部にこれだけ町家があったら、と羨ましいほ
ど立派な町並みが現存するが、ここもマンション建設や後継者不足からくる
町家解体が急速に進み始め、危機感を持った町家住民を支援する形で雄志が
協議会設立へ動いた。

 シンポジウムの後、誘われて懇親会へ参加した。法世さんはじめ、パネラ
ーとして参加された鮎川氏(建築家・博多「町家」ふるさと館への旧三浦邸
解体調査移築なども手がけ、八女福島地区の町並み保存整備マニュアル作り
など町家保存のプロ)、マイヅル味噌の白水さん(老舗みそ舗・江戸期建築
の旧酒蔵で、福岡市都市景観賞受賞し現在国の有形文化財に登録手続き中)、
そして司会をされた十時さん(まちづくり活動コーディネートの第一人者、
「博多情緒めぐり」の基となったワークショップでも見事なコーディネート
役で目標とする方)もご一緒し、楽しい宴となった。

 左隣の席に座られた阪本さんは大正初期から続くサカモト写真館の三代目。
私の著書「ふくおか絵葉書浪漫」掲載の姪浜地区の古い絵葉書の多くを撮影
出版していた版元だと判明。絵葉書写真を見ると、ちゃんと「阪本写真」と
記載されたいた。川岡氏が編纂出版している「写真集 姪浜とその周辺」に
も多くの写真を提供されているが、未掲載の商店の記念撮影写真なども現存
するとのことで、機会があれば拝見したい。

 向かいに座られた緒方さんは大名で実家の町家を「エンジョイスペース大
名」多目的レンタルギャラリーとして開放している。読売新聞に法世さんが
連載している町家訪問に取り上げられたご縁で参加されたそうだ。絵地図「
博多湾周遊絵巻」を購入いただき感謝。

 右隣は長谷川法世さん、町家訪問エッセイの取材裏話しや川上音二郎話し
が弾んだ。法世さんを最初に紹介してくれたのは、福岡高校で法世さんと同
級だった河野氏(法世さんのエッセイにも登場、朝の勉強会でいつも一緒)。
以来、冷泉や櫛田神社などの行事でお会いはするがなかなか忙しい方なので
じっくり話しをするのは今年初めの新年会以来であった。

 取材上手の法世さんは私の目標人でもある。水野旅館など今は無い旅館の
話しも私の持つ情報以外の話しも聴け参考となった。取材の視点や尋ねるポ
イントが違うと当然解釈も変わる。法世さん流の視点は勉強となる。法世さ
んの実家も元々は櫛田神社近くで旅館業をされていた(自伝漫画にも記載)。
法世さん流の視点で、今は無い博多の銘旅館や商店、銭湯の思い出エッセイ
など個人的に読んでみたいと思った。

 楽しい宴は時間の経つのも早い。気が付くと帰宅は午前様となっていた。

今日の画像は、前田虹映「福岡市観光図(昭和15年)」の姪浜周辺部分。
神功皇后伝説の小戸大神宮や御膳立、元寇、愛宕山などとともに炭坑で栄えた
姪浜の町並みも詳細に描かれている。

アンティーク絵葉書に観る懐かしの風景・町並み
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鳥瞰図絵師・前田虹映
オールド地図鳥瞰図コレクション・吉田初三郎ほか

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