記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

「タモリ、いよいよふるさと福岡へ」ブラタモリ西日本新聞の記事補足

2015年09月10日 08時24分45秒 | 福博まちの記憶

9月8日の西日本新聞夕刊紙面から「タモリ、いよいよふるさと福岡へ~NHKブラタモリ、12日・19日に放送」記事。放送が近づきさらに情報がネタ小出しで記事に出ていますね。

ただひとつ「(福岡市は)明治の中ごろは人口が九州でも3番目だったが」という下りは、注釈がたくさん付く内容です。明治末までの福岡市は藩政時代の城下町福岡と商都博多のみの狭いエリアでの人口です。長崎・鹿児島に次いで九州で3番目というのも「市制を施行している都市のなかで」という注釈が必須(統計に出ているのは市制施行都市のみ)です。

大正3年頃の福岡市は、官営八幡製鉄所を要する「八幡町」や三井三池炭鉱を有する「大牟田町」など市制を施行していない町にも抜かれて、人口ランキングでは九州5番目の都市になってます。また、現在は北九州市となっている5市町(門司市・小倉市・戸畑町・八幡町・若松市)の合計人口は福岡市の2倍以上でしたので、福岡県内でも3~5番手の都市だったと言い換えた方がわかりやすい気が……。(八幡の市制施行は大正6年、戸畑の市制施行は大正13年、若松の市制施行は大正3年)

明治中期の納税番付をみても、福岡・博多の名家商家は100位以内にほとんど入っておらず、多くが瀬戸内貿易で栄えた旧豊前国の沿岸町の大店や炭鉱経営者となっています。当時の交通・物流は海運全盛、鉄道が県内各地へ網の目のように延伸するのは明治30年代以降です。また、当時の省線(国鉄)はいわゆる蒸気機関車による貨物線が中心で、交通機関としての人の輸送が基本である電車の登場は明治43年まで待たねばなりません。

というわけで、ブラタモリ「福岡と鉄道」編がテーマになった次第です。さてさて、タモリさんは鉄道と福岡市の都市発展の関係をどう謎解きするんでしょうか、乞うご期待!!

9月11日朝、NHKさんから正式に連絡あり東日本豪雨水害にともなう緊急NHKスペシャル放送のため、12日の放送が19日に。19日放送は10月3日へスライドとのことです。詳細はブラタモリ公式サイトでチェックください。


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