記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

福岡時代のライオンズ球団の記憶

2015年09月10日 07時59分31秒 | 西鉄ライオンズ

ネットの記事にはならなかったようなので、とりあえず9月2日の西日本新聞夕刊記事「哀愁の雑草ライオンズ」紙面。最近続々と太平洋&クラウン時代のライオンズ本が発刊され、いずれも読み応え満点です。

拙著「西鉄ライオンズとその時代」「伝説の西鉄ライオンズ」にも記していますが、昭和41年生まれの私自身は物心つく頃には西鉄ライオンズはすでに亡く、ライオンズといえば太平洋クラブライオンズであり、クラウンライターライオンズでした。小学生の頃、出かける際に被っていたお気に入りの帽子も太平洋のキャップ。西鉄ライオンズ全盛期に熱狂したのは親の世代です。

球団が福岡を離れた時代は「ドカベン」全盛期、水島新司さんの野球マンガで育った私は、小学校高学年時には必然的に南海ホークスファンになってましたが、「あぶさん」等の水島マンガは特定球団だけでなく対戦チームの選手も含めた群像劇であり、パ・リーグファンといった方がしっくり来る気もします。

1950年代後半の西鉄ライオンズの全盛期イコール、南海ホークスの全盛期でもあります。昭和30年の南海99勝・西鉄90勝という高レベル優勝争い(鉄腕・稲尾さん入団前年です)は紙面など記録で追跡するだけでもワクワクしますし、昭和31年や38年の最終戦までもつれる大逆転優勝は、伝説の昭和33年の逆転優勝以上にスリリングです。ここ数年は西鉄さんに遺る写真だけでなく、膨大な映像資料もDVDパッケージ化を実現したいと格闘してきました。

来年はライオンズ球団の初日本一から60年=福岡・九州の球団の初日本一60年という節目です。私的に昨年からいろいろ仕掛けて動いている案件、もう少ししたら形になり公表できそうです。昨日は西鉄さん経由で埼玉西武ライオンズが西武プリンスドームで流す「ライオンズ4500勝」記念映像を簡単に監修チェック作業。こういう映像はできればヤフオクドームのホークスvsライオンズ戦でも観たいなと純粋に思いました。


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