今日は冷泉地区自治連合会の40周年記念式典だった。記念誌と写真集
も10日までに完成し、西日本新聞で記事に取り上げられた。記事が載
った日は公民館に問い合わせ電話が殺到したそうだ。西日本新聞の見出
しは『博多区・冷泉地区自治連合会40周年誌と写真集発行「昔あって
の今歴史語り継がねば」2007/02/10付 西日本新聞朝刊』と書かれて、
詳細が記載されていた。記事を書いてくれたのは博多まちなか支局の新
人記者某氏だが、よくまとめてくれて感謝している。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/toshiken/20070210/20070210_002.shtml
今日の記念式典は福岡サンパレス&ホールで開催され、地域の代表者や
来賓など150人が集まって盛大に開催された。記念誌と写真集は各椅
子に置かれ、集まった人々が手に取って読んでくれる瞬間は最高に幸せ
なひとときとなった。あちこちで笑い声が聞こえ、皆さん上機嫌であっ
た。
博多古謡会による演奏や唄も場が盛り上がる。「ドンガラガン」「ぼん
ちかわいや」をはじめ、郷土の生んだ新劇の祖・川上音次郎の「オッペ
ケペー節」も当時のままの節で披露された。「博多町家」ふるさと館の
館長もされている漫画家・長谷川法世氏も上機嫌。博多松ばやしさなが
らにみんなで会場を練り歩いて盛り上がった。
冷泉地区をはじめとする博多には、とにかく芸人が多い。そして文化人
として名を馳せる諸先輩方が多い。画家の系譜を辿ってみても、江戸期
の石丸春牛、奥村玉蘭、明治・大正期の富田渓仙や児島善三郎をはじめ、
昭和の西島伊佐雄、長谷川法世と多彩である。筑前琵琶や博多独楽、文
学、彫刻や博多人形などに広げるとさらにスゴイことになる。芸能界に
入って息永く活躍している方もたくさんいる。
小松政夫氏も瓦町(祇園アパート)に住んでいた。今、博多うどんの名
店・かろのうろん屋の並び、キャナルシティ博多へ向かう川端通り南端
にある鍵屋さんの場所だ。その後、小松氏は「鶴の子」石村萬盛堂に住
み込みで働き、芸を磨いて上京した。萬盛堂の創業地は川上音次郎の家
の一階を借りての創業で、現社長は「ホワイトデー」創始者としても知
られている。
冷泉地区の戦後史をまとめていて、実は文章として本に掲載できなかっ
た余話や逸話は山のようにある。検証できたものを中心に記述したが、
聞き取りで興味を引いた逸話群は、いつか本にしてみたい。今回まとめ
た記念誌を見て、やっと記録を残すことに理解をしてくれた方も多い。
より多くの地元人に文章をチェックしてもらうことで、伝聞などの間違
いが初めて判ることも多い。今日も2人ほど間違いを指摘してもらえた。
また「なぜこれを聞きに来なかった」と厳しくお叱りを受けもした。実
はお願いした際の真意が伝わっていなかった場合も多いのだが、熱心で
あればこその意見と耳を傾けている。今回の40周年はあくまで通過点、
50周年に向けてさらに資料収集や聞き取り調査を進める。
も10日までに完成し、西日本新聞で記事に取り上げられた。記事が載
った日は公民館に問い合わせ電話が殺到したそうだ。西日本新聞の見出
しは『博多区・冷泉地区自治連合会40周年誌と写真集発行「昔あって
の今歴史語り継がねば」2007/02/10付 西日本新聞朝刊』と書かれて、
詳細が記載されていた。記事を書いてくれたのは博多まちなか支局の新
人記者某氏だが、よくまとめてくれて感謝している。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/toshiken/20070210/20070210_002.shtml
今日の記念式典は福岡サンパレス&ホールで開催され、地域の代表者や
来賓など150人が集まって盛大に開催された。記念誌と写真集は各椅
子に置かれ、集まった人々が手に取って読んでくれる瞬間は最高に幸せ
なひとときとなった。あちこちで笑い声が聞こえ、皆さん上機嫌であっ
た。
博多古謡会による演奏や唄も場が盛り上がる。「ドンガラガン」「ぼん
ちかわいや」をはじめ、郷土の生んだ新劇の祖・川上音次郎の「オッペ
ケペー節」も当時のままの節で披露された。「博多町家」ふるさと館の
館長もされている漫画家・長谷川法世氏も上機嫌。博多松ばやしさなが
らにみんなで会場を練り歩いて盛り上がった。
冷泉地区をはじめとする博多には、とにかく芸人が多い。そして文化人
として名を馳せる諸先輩方が多い。画家の系譜を辿ってみても、江戸期
の石丸春牛、奥村玉蘭、明治・大正期の富田渓仙や児島善三郎をはじめ、
昭和の西島伊佐雄、長谷川法世と多彩である。筑前琵琶や博多独楽、文
学、彫刻や博多人形などに広げるとさらにスゴイことになる。芸能界に
入って息永く活躍している方もたくさんいる。
小松政夫氏も瓦町(祇園アパート)に住んでいた。今、博多うどんの名
店・かろのうろん屋の並び、キャナルシティ博多へ向かう川端通り南端
にある鍵屋さんの場所だ。その後、小松氏は「鶴の子」石村萬盛堂に住
み込みで働き、芸を磨いて上京した。萬盛堂の創業地は川上音次郎の家
の一階を借りての創業で、現社長は「ホワイトデー」創始者としても知
られている。
冷泉地区の戦後史をまとめていて、実は文章として本に掲載できなかっ
た余話や逸話は山のようにある。検証できたものを中心に記述したが、
聞き取りで興味を引いた逸話群は、いつか本にしてみたい。今回まとめ
た記念誌を見て、やっと記録を残すことに理解をしてくれた方も多い。
より多くの地元人に文章をチェックしてもらうことで、伝聞などの間違
いが初めて判ることも多い。今日も2人ほど間違いを指摘してもらえた。
また「なぜこれを聞きに来なかった」と厳しくお叱りを受けもした。実
はお願いした際の真意が伝わっていなかった場合も多いのだが、熱心で
あればこその意見と耳を傾けている。今回の40周年はあくまで通過点、
50周年に向けてさらに資料収集や聞き取り調査を進める。