昨夜6月15日(月)深夜24:15~KBC「ドォーモ」では、企画でお手伝いした「戦争から始まった福岡空港の歴史」も放送されました。昭和20年5月に席田飛行場として誕生した福岡空港、昭和19年2月に敷地一帯の人々から土地を強制接収し、福岡市と近隣の中学生らの勤労奉仕で建設されたものです。
放送では、過去のKBCアーカイブ映像から板付基地などの映像も探し出し、2007年3月に東比恵3丁目(現在は大正製薬の支社が建つ場所)で席田飛行場時代の不発弾が見つかったニュース映像も加えてもらいました。
昭和19年、強制接収の調印の舞台となったのは現在の東福岡高校の場所、当時ココにあった福岡商業(現・福翔高校)の校舎でした。2007年に見つかった大量の不発弾はまさに空港と福岡商業のすぐそばの空地で発見されたもの。番組では、当時実際に空港建設作業に学徒として携わった福岡商業OBにご出演いただき、貴重な証言をもらう事もできました。
今回は案内役で私も出演しましたが、本来は企画ネタもとなので解説役がいらっしゃる事が一番。しかし福岡空港史を語っていただける方も見つからず。私はしゃべりに自信がある訳でなく、ロケ収録後は中上さんのツッコミに狼狽える自分に落ち込んでみたりしました(笑)。
結果として、ドォーモデー・ドキュメントが推して後半ロケ部分は全カット。福岡空港の歴史とそれに纏わる戦争遺産を巡り、後半は弾薬庫跡や板付基地への鉄道専用線跡を辿る内容で、個人的に納得いく収録内容にならなかったので、正直ホッとしました(笑)。
また今回、福岡空港関連の書籍や資料を読み解くうち、空港敷地の地主構成もある程度判り、個人的には衝撃の事実を多数見つけることとなって、さらに調査を進めるつもりです。
写真は戦前の福岡商業の校舎(絵葉書)。東福岡高校が移転してきた後も2009年秋に取り壊されるまで校舎遺ってました(3枚目写真は取り壊し時の撮影)。新館完成後も玄関部分だけが現在も当時を伝えるモニュメント・デザインとして遺されています。
とりあえず、シリーズ第2弾の放送は果たしてあるのかな(笑)