人の記憶というのは曖昧である。数千件の聴き取り取材の経験から得た教訓
だ。これは自分自身にもあてはまる。記憶を曖昧にする要因のひとつは思い込
みだと思う。「自分は知っている」が一番危険、それは聴き取り相手だけでな
く取材側にも言える。自信や自負は必要だろうが、聴く耳を捨ててしまっては
元も子もない。
その反面、ある程度の知識が無ければ、貴重な情報が目の前を通過しても、
貴重な写真資料が目の前にあっても、それに気づくことなく、せっかくの機会
を逃すことも多々ある訳だ。ここ数日、事務所の資料の再チェックをしていて
「こんなものを持っているじゃないか!」と驚くこと多数(笑)。もう10年以
上前に入手して、そのまま段ボールに詰めたままだったものだが、これが宝の
山だった。
例えば「平野水」のラベル。住所は「摂津国川辺郡多田村之内平野村」とあ
り、会社名は「平野鉱泉株式会社」。明治17年に瓶詰めで発売されて今も続く
あの炭酸飲料「三ツ矢サイダー」の元祖である。手持ちの資料やネットで調べ
てみると、明治38年に平野鉱泉合資会社が「三ツ矢印」の平野水を引き継ぎ、
2年後の明治40年に他社と合併して誕生した「帝国鉱泉株式会社」が、初めて
サイダーフレーバー・エッセンスを輸入して「三ツ矢シャンペンサイダー」と
して発売したとある。
手持ちの「平野鉱泉」ラベルには「三ツ矢」印は無く、このラベルは明治40
年に合併で誕生する前のラベルということになる。また、甘味料を加えて製造
するシャンペンサイダーではなく、ラベルには「NATURAL MINERAL WATER」
の文字と「平野水」の商標があり、ラベルの印刷から判断しても古いもののよ
うだ。
長谷川町子がサイン入りできちんと描いた「サザエさん」絵入りの文明堂の
栞もお気に入り!夕刊フクニチで連載開始し、幾度かの連載中断・再開のたび
に全国区の人気を得ただけに、人気にあやかったまがい物の「為サザエさん」
モノも多く、文明堂のカステラの栞はその点でも貴重か(笑)。長谷川町子が
戦前住んでいた、福岡市四十川(現在の中央区渡辺通)の近くにあった精肉店
の店頭にも本物か偽物か判らない「サザエさん等身大看板」があったと、春吉
地区の郷土史に記載がある。
時間があれば、長谷川町子が戦時疎開で福岡に戻った際、西日本新聞社のル
ポ記者時代の記事をチェックしたいとずっと思っている。戦前の博多の「名物」
のひとつ、馬出の称名寺に鎮座していた「博多大仏」が戦時下の金属抽出で閉
眼(解体)となったのが昭和19年。長谷川町子がルポ記者だった時代である。
別名「磯野の大仏」といわれたこの大仏は、今と違って海岸線が寺のすぐ脇を
通る鉄道線のすぐそばで、遠方からも松林の中に浮いて見えたという。
大仏といえば、東長寺に鎮座する「福岡大仏」のことを博多大仏と間違って
記載している人の多いこと(以前も書いた)。博多にある大仏なのだから「博
多大仏」と言いたいのも判るが、過去にあった「博多大仏、通称・磯野の大仏」
に敬意を払ったのか、称名寺の許可が降りなかったのか(台座は今も残り、幾
度か再興も検討されたとか)ややこしい事になっている。
その東長寺では、五重塔の建設が始まっていて、大博通りからも建設の様子
が見えるようになってきた。今週末からは「博多ライトアップ・ウォーク」も
始まる。今年のライトアップは櫛田神社、17日は博多灯明ウォッチングもある。
奈良屋地区の「博多スィーツ巡り」老舗菓子店探索のスタンプラリーも楽しそ
う、完成したスタンプを見せてもらったが、これを集めるだけでお宝かも!
今日の写真は、11日に冷泉公園で開催された「第22回冷泉大運動会」の一コマ。
祇園山笠のある博多部ならでは種目「走れ追い山」の一番山・博多祝い唄(祝
いめでた)の光景。昨年に続いて上川端町が町内対抗戦の総合優勝。
この日は博多部では奈良屋、御供所も運動会。博多区内では9校区で運動会が
あったそうだ。
フォトブックシリーズ解説・通販
福岡市内線の思い出ブログ
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冷泉のあゆみ1945~2007まちづくり戦後史
鳥瞰図絵師・前田虹映
オールド地図鳥瞰図コレクション・吉田初三郎ほか
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だ。これは自分自身にもあてはまる。記憶を曖昧にする要因のひとつは思い込
みだと思う。「自分は知っている」が一番危険、それは聴き取り相手だけでな
く取材側にも言える。自信や自負は必要だろうが、聴く耳を捨ててしまっては
元も子もない。
その反面、ある程度の知識が無ければ、貴重な情報が目の前を通過しても、
貴重な写真資料が目の前にあっても、それに気づくことなく、せっかくの機会
を逃すことも多々ある訳だ。ここ数日、事務所の資料の再チェックをしていて
「こんなものを持っているじゃないか!」と驚くこと多数(笑)。もう10年以
上前に入手して、そのまま段ボールに詰めたままだったものだが、これが宝の
山だった。
例えば「平野水」のラベル。住所は「摂津国川辺郡多田村之内平野村」とあ
り、会社名は「平野鉱泉株式会社」。明治17年に瓶詰めで発売されて今も続く
あの炭酸飲料「三ツ矢サイダー」の元祖である。手持ちの資料やネットで調べ
てみると、明治38年に平野鉱泉合資会社が「三ツ矢印」の平野水を引き継ぎ、
2年後の明治40年に他社と合併して誕生した「帝国鉱泉株式会社」が、初めて
サイダーフレーバー・エッセンスを輸入して「三ツ矢シャンペンサイダー」と
して発売したとある。
手持ちの「平野鉱泉」ラベルには「三ツ矢」印は無く、このラベルは明治40
年に合併で誕生する前のラベルということになる。また、甘味料を加えて製造
するシャンペンサイダーではなく、ラベルには「NATURAL MINERAL WATER」
の文字と「平野水」の商標があり、ラベルの印刷から判断しても古いもののよ
うだ。
長谷川町子がサイン入りできちんと描いた「サザエさん」絵入りの文明堂の
栞もお気に入り!夕刊フクニチで連載開始し、幾度かの連載中断・再開のたび
に全国区の人気を得ただけに、人気にあやかったまがい物の「為サザエさん」
モノも多く、文明堂のカステラの栞はその点でも貴重か(笑)。長谷川町子が
戦前住んでいた、福岡市四十川(現在の中央区渡辺通)の近くにあった精肉店
の店頭にも本物か偽物か判らない「サザエさん等身大看板」があったと、春吉
地区の郷土史に記載がある。
時間があれば、長谷川町子が戦時疎開で福岡に戻った際、西日本新聞社のル
ポ記者時代の記事をチェックしたいとずっと思っている。戦前の博多の「名物」
のひとつ、馬出の称名寺に鎮座していた「博多大仏」が戦時下の金属抽出で閉
眼(解体)となったのが昭和19年。長谷川町子がルポ記者だった時代である。
別名「磯野の大仏」といわれたこの大仏は、今と違って海岸線が寺のすぐ脇を
通る鉄道線のすぐそばで、遠方からも松林の中に浮いて見えたという。
大仏といえば、東長寺に鎮座する「福岡大仏」のことを博多大仏と間違って
記載している人の多いこと(以前も書いた)。博多にある大仏なのだから「博
多大仏」と言いたいのも判るが、過去にあった「博多大仏、通称・磯野の大仏」
に敬意を払ったのか、称名寺の許可が降りなかったのか(台座は今も残り、幾
度か再興も検討されたとか)ややこしい事になっている。
その東長寺では、五重塔の建設が始まっていて、大博通りからも建設の様子
が見えるようになってきた。今週末からは「博多ライトアップ・ウォーク」も
始まる。今年のライトアップは櫛田神社、17日は博多灯明ウォッチングもある。
奈良屋地区の「博多スィーツ巡り」老舗菓子店探索のスタンプラリーも楽しそ
う、完成したスタンプを見せてもらったが、これを集めるだけでお宝かも!
今日の写真は、11日に冷泉公園で開催された「第22回冷泉大運動会」の一コマ。
祇園山笠のある博多部ならでは種目「走れ追い山」の一番山・博多祝い唄(祝
いめでた)の光景。昨年に続いて上川端町が町内対抗戦の総合優勝。
この日は博多部では奈良屋、御供所も運動会。博多区内では9校区で運動会が
あったそうだ。
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