北九州市50周年にちなみ、八幡東区の中央町界隈の絵葉書3枚。1枚目と2枚目は八幡郵便局前、前者は昭和初期、後者は明治45年。この界隈、実は「渡辺通り」で知られる渡邊與八郎が整地開発した土地なんですが一般的に知られてないと思います。
しかも絵葉書に写っている路面電車(九州電気軌道=西鉄北九州線)も與八郎が地元発起人代表を務めて設立された会社。八幡郵便局の建物も與八郎が八幡へ寄付したものです。同時に博多電気軌道(宇美・太宰府・二日市への延伸計画含む)、北筑軌道買収(唐津・伊万里へ)などの計画を進め、描いていた未来は「福北高速鉄道網(筑豊経由)」の整備による博多への物資資金集約でした。
単に「博多に電車を作った」渡辺通りだけと思われがちの與八郎ですが、医科大学招致(九大医学部)や帝国大学昇格、専売公社移転と中洲開発をはじめ、博多川に架かる5つの橋の架け替え、中洲の博多川沿いの道路開発など、現在の福岡市発展の礎となることを率先して手がけています。博多で商談をまとめる後方支援施設として、遊郭の移転集約発展(大学招致に絡み発展形)、二日市温泉の開発(武蔵寺復興)なども先導しました。あと少しで拙著「渡邊與八郎伝」完成。